和辻哲郎「日本古来の伝統と明治維新の歪曲について」(1)
「維新政府がこの時に紀元節を重大視したのは、決して意味の軽いことではない。それは明治維新が、単なる話し合ひによつてではなく、武力を以て達成されたといふことと関係のある問題である。当時、明治維新の王政復古は、所謂王朝時代への復古ではない。更に遡つて神武天皇への復古であるといふことが、強く主張された。これは実は容易ならない主張だったのである。聖徳太子の憲法とか大宝養老の律令とかに示された天皇統治の理想によると、天皇はあくまでも徳を以て治むべきものであつて、武力の上に立つべきものではなかつた。武力は国を守るに必要であるが、しかし政治の手段とすべきものではなかつた。従つて天皇の立場は幕府の将軍の立場とは本質的に異なつてゐたのである。しかし武力を以て幕府を倒した「武士」たちは、この点を全然理解していなかつた。だから、天皇の統治の理想などを顧みず、神武東征の伝説の主人公、即ち遠征軍の指揮者神武天皇をわが国の建国者として特別に重んずるといふ態度を取ったのである。これは天皇を大元帥として武力の上にかつぎ上げるといふ企てへ真直ぐに発展して行く。天皇が軍隊の最高の指導者であるなどといふ考は、「天子」とか「天皇」とかの考には全然なかったことなのであるが、それを恰も日本の古来であるかの如く国民に思ひ込ませたのは、紀元節を祝日とするような企てに始まつた、明治以後の為政者の仕事に過ぎぬのである。」
講座現代倫理第十一巻、筑摩書房、昭和34年、所収、pp.229-230
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