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2007年3月15日 (木)

あきんどの倫理

「本を選ぶという行為は、いわば自分の思想をあからさまに表現するのである。お客は自分が見つけた本を帳場にさしだすことによって、売主におのれの心中をのぞかせてしまうわけだ。
 古本屋はそれを見て見ぬふりをする。
人の読書の好みをよそにもらさない。これは古本屋の鉄則である。客の立場をかばうのはすべての商売に共通したあきんどの倫理であるが、古本屋の場合はそれがわけても厳しい。戦前、社会運動関係の書物をとり扱った際に、苦渋をなめた経験則から発しているのではないかと私は推測している。」
猫阿弥陀、出久根達郎著『猫の縁談』収録
From http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2007/03/post_cb85.html#comment-12411981

 結局、あきんどが相手とする「客(きゃく)」も、我々の家を不意におとなう「客(まろうど=稀に来る人)」も、煎じ詰めれば、他者にほかならない。そして、あきんどが客に「いらっしゃませ(=よくいらっしゃった)」と微笑むのも、我々が珍しい客人を「よく来られた、上がられよ」とニッコリ迎え入れるのも、「もてなし、歓待 ⇒ hospitality」の心があればこそだ。

 赤の他人同士が支えあう近代人間社会が基本的にやっていけるのは、他者を喜んで迎え入れ、歓待する、という hospitality の精神によろう。それならば、近代社会で暮らす我々にまず必要なものは、あきんどの倫理ではなかろうか。

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