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2007年3月 1日 (木)

おわび、あるいは、心身相関についての一考察(3)

 構成する命題は、こうである。

「身体の頑健さと思慮深さは反比例する」

 つまり、身体が頑健(システム論でも robust という)であればあるほど、ものごとを深く考えない傾向が強い、ということ。思想家や文学者に、「元気ハツラツ!!」というタイプがいないのも、首肯できそうだ。

 ま、身近な2例から、一般的法則を引き出そうというのが、土台無理なわけだが、かの偉大なる Newton 卿でさえ、自由落下する林檎と落下しない月を見比べて、万有引力の法則を定立した(嘘!)のだから、私の暴論もあながち無駄でもなかろうと愚考する次第。
  そもそもが、帰納法という考え方そのものが怪しげなもの。99匹のカラスが黒かったからと言って、100匹目が黒いとは全く言えないわけで、所詮、 heuristic(発見法)*であり、それとして役立てばよい。各位も、周辺を観察されれば思い当たる節も増えようと推測するがいかがだろうか。

 おまけ。朝、出る前、抗生物質をのもうと包みから出したのはいいが、やはりちゃんと食べてからにしようと思いとどまり仕方が無いのでティッシュに くるんだ。ま、そこまではいい。ぐずぐずして飲みそびれて、ついに午前様の帰宅の際、ポケットのものを1点1点確認していると、その中に見知らぬティッ シュ包みがあった。始終切れ目無く鼻水をとっているので、ポケットにも捨てるべきティッシュがよく残っている。そこで、えい、や、とばかり、ゴミ箱に放り 込んだ。部屋も鼻紙だらけだ。ゴミ箱から今にもあふれかえりそう。軽く食べて、はて、抗生物質でものもうかと、落ち着いて考えたところ、裸になっていた1 回分の薬があったわい、と持ち物置き場を探したが全く見当たらない。「そういえば・・・。」と思い出しても後のまつり。既に、どれが使用済みの鼻紙なのか、 抗生物質の包み紙なのか、見分けがつかない。私がここから、己の浅慮を怨みつつ、小1時間ほど己の青洟を繰り返し見続け、前述の命題をさらに個人的に確信 したのは言うまでも無い。

*渡辺慧『認識とパタン』岩波新書(1978年)
    「V.パタン認識と人工知能、1.帰納的推理としてのパタン認識」
     p.158以下を参照。
  この本は名著の誉れが高い。私が見るところ、著者は近代日本が生んだ最も独創的な思索家、だと思う。それは、N.ウィーナーの『サイバネティクス』 (1948年)にその著述が引用されている、唯一の日本人である(もう1人いたような気がするが、引用ではなかった気がする)ことからも伺えよう。

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