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2007年4月14日 (土)

パースのヘーゲル評(1)/ Charles Sanders Peirce's assessment of Hegel

「内的な必然的進化もしくは論理的模索は、どこにそれが導かれるのか予見することができず、そのコースの舵をとることもできないで、あらかじめ決定された進路の上を前進するのであるが、これこそ哲学の発展の法則である。ヘーゲルは、はじめて、世人にこれを理解させた。かれ以前には、論理学というものは思想の主観的指針や監視装置の役目を果たすことを念願としてきたのであるが、かれは、論理学をたんにそういうものにはしないで、それが思考の原動力になることを、しかもたんに個人的思考の原動力ではなく、討論、思想史、歴史一般、発展一般の原動力になることをもとめた。」
世界の名著 59 パース・ジェイムズ・デューイ (中公バックス)、pp.212-3、中央公論社1980年

「プラグマティシズムがヘーゲルの絶対的観念論とかたく手をにぎりあっていることは事実である。しかし両者のちがいは、プラグマティシズムが、「第三」のカテゴリー(これをヘーゲルは思惟発展の一段階と考えたが)だけで世界を構成しうるに十分だというヘーゲル的な考えを、強く否定するという点にある。

 ヘーゲルが、最初の二つの段階(正と反)を軽視せず、それらをいわば三位一体的な実在の、独立した明確な要素として承認していれば、プラグマティシストはかれをプラグマティシズムの偉大な同調者として尊敬したであろう。(ヘーゲルの理論の外部的なよそおいのきらびやかさの中には重要なものがほとんど見当たらないことは、いうまでもない。)なぜなら、プラグマティシズムは、ヘーゲル主義よりもっと本質的な仕方で、三つの組的な哲学の性格をそなえているからである。(実際、ヘーゲルはかれの著作のすくなくとも一箇所で、自分の叙述の三つの組的な形式はたんに外部的なよそおいにすぎないと、言いはなっているのである)」
世界の名著59、「パース・ジェイムズ・デューイ」、p.246、中央公論社1980年

 上記を読んだだけでは何のことやら要領を得ない感じだが、上山春平の解説などによればこうである。系の論理的な展開と時間的な発展をみると、形式論理で記述できるのは、前者だけで、後者は原理的に記述できない。そして、この後者の、系が時間発展する際の記述論理として、ヘーゲルの弁証法を評価しているらしい。

 また時間があるときに検討してみることとする。

※下記も参照されたし。
創発への二つのアプローチ(Two approaches to the Emergence)

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