「普遍」を「特殊」に引きずりおろす方法
「普遍」を「特殊」に引きずりおろすには、二つの方法がある。
1) その「普遍」を一つの「特殊」として含むような、新たな「普遍」を導入する。
2) その「普遍」を、イデオロギー批判なり、イデオロギー暴露によって、「ほらね、俺たちと同じ穴の狢むじなじゃない!」として、「特殊」カテゴリーに編入してしまう。
日本思想史のお家芸は、2)だ。その代表選手が、本居宣長の漢意(からごころ)批判。しかし、これだと、結局、「特殊」同士が自己主張(意地の張 り合い)をしているだけで、なんら、新たな議論のステージに立てない。だから第三者の「特殊」などがそこに登場すると、単なる「特殊」の団子状態で、議論 の収拾がつかず、実力行使により雌雄を決する、という陥穽にはまり込むこととなる。明治コンスティチューションがその誕生から77年後、幻の大東亜共栄圏 とともに散華してしまったのはその必然的帰結とみなすことが可能だ。
以上の議論は近日中に、一つの書評の一部として組み込み、記事化する予定。
〔参照〕2011/01/28追記
「華夷」ではなく「夷華」
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