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2007年4月 3日 (火)

「言葉の力」を思い出させるエッセイ

「ところで、週末になるとホテルの酒場の様子は一変した。平日の夜は、スウェーデン人技師とぼくとが殆ど毎晩同じような話を繰り返しているだけで、あとはひっそり静まり返っている酒場は、土曜の夜には泥酔者たちで大荒れとなった。それは、回教の戒律がもっと厳格な南の方で、油田の開発に従事している欧州や米国からの人々が、強い酒に酔うために、大挙して北上してくるからであった。
 その中の何人かの人びととは次第に顔馴染になってゆくのであるが、彼らの中には、明らかに大戦中どこかの遠い荒い海に、長い間出ていたような匂を持ち続けている人たちがいた。
 あの、あお黒く光る鋼鉄の機械油のにおいを、ぼくらは相互のどこかに探り当てながらも、しかしながら、そこから先には踏み入らなかった。お互いに、浅くしか眠ることが出来なかった夜々のことを、おたがいの不運な時代のことを、ぼくらはまだ打ち明けることが出来なかった。」
佐野英二郎『バスラーの白い空から』青土社(2004年)、p.65-6

 この小さな宝石のようなエッセイ集は、たとえどこから読み始めても、美しい言葉と出会えることの喜びを私たちに思い起こさせてくれる。上の文には、戦争 やいくさ、などという言葉はひとことも顔を見せていないが、それであるからいっそう、軍艦に己の命運を託さざるを得なかった若者たちの、それも敵味方で あったかもしれないかつての若者たちの、永久に塞がることのない傷口の存在を、私たちに静かに告げる。「言葉の力」をもう一度信じてもよい、と思わせるも のがここにはある。

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