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2007年5月21日 (月)

自然法 natural law の日本語訳としての、「天地ノ公道」

蝋山 「・・・。それを歴史にさかのぼれば、十七世紀のイギリスの憲政が自立した、たとえば権利章典の出たころ、名誉革命のあったころの思想がずっと尾をひいていると思う。そういう意味において、日本は明治百年を経験して、自然法が日本的に評価されたのは、五ヶ条の御誓文だと思う。これは吉野(作造)先生から習ったけれども、自然法の思想を日本的に訳すと、天地の公道になるという。日本人が国際性のある思想をもたなければならない時代が来ているのではないか。・・・。」
「変動期のなかの政治思想」〈鼎談〉宮沢俊義、蝋山政道、辻清明
『世界の名著』第60巻 付録42、昭和44年12月5日 虎の門「福田家」にて

 ちなみに、「五ヶ條ノ御誓文」の全文を掲げると以下のようになる。法令全書明治元年第百五十六のもの。

引用開始

 ****************************************************

御誓文

一廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ

一上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ

一官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

一舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

一知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此趣旨ニ基キ協心努力セヨ
年號月日 御 諱

勅意宏遠誠ニ以テ感銘ニ不堪今日ノ急務永世ノ基礎此他ニ出テカラス臣等謹テ 叡旨ヲ奉載シ死ヲ誓ヒ黽勉從事冀クハ以テ 宸襟ヲ安シ奉ラン
慶應四年戊辰三月
    總裁     名印
公卿     各名印
緒侯

 **************************************************

引用おわり

 引用の、Wikipedia によると、第4条の元来の木戸案では、「旧来の陋習を破り宇内の通義に従ふへし」となっていた由。すると、

「宇内の通義」 → 「天地ノ公道」

となったわけだ。宇内は、「天下、世界」の意で、通義は、recht(法、権利)、ないし、right(権利)の訳だから、木戸案を直訳すると、旧 来の遅れた悪い習慣を破棄し、世界の法(権利)にしたがうべし、というもの。前半は、徳川将軍批判だから政治的意図丸見えなのでどうかと思うが、後半は素 直に解釈すれば、国際法、ないし自然法に従え、となろう。これなら後半だけは悪くはない。ただ、天皇が神前で発する誓詞に、翻訳語が入るのは好ましから ず、とかなんとかと言うことで、多分、「天地ノ公道」に差し替えられたのだろうな。まあ、「宇内の通義」よりは、「天地ノ公道」のほうが、江戸人には通り が良かったろうと思われる。で、この言い換えも悪くはないと思う。

 ただ、総じて言えば、「舊來ノ陋習」が徳川政権にすべて押し付けられ、「天地ノ公道」がすべて新政府という名の明治軍事クーデタ独裁政権に回収されてしまっているので、最終的な効果は、薩長のプロパガンダと堕していることだけが問題か。

〔註〕原本。明治元年3月13日(旧暦)、明治天皇の勅命によって有栖川宮幟仁親王が揮毫したもの。

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コメント

まつもと さん、どうも。

 未開の古代日本において、文明国、中国の思想・制度は理解できなかったんでしょう。人事を超えるものがある、それも物の怪や怨霊と異なる、いわば理念としての「天」や「礼」について。日本では、生身の人間とこの世ならざるものがくっついちゃっている、「天皇」。

 そして、このことは、関曠野が指摘していた、武家の土地所有を正当化する、「公法」の擬似的代替物としての天皇=律令制と表裏一体です。

 個人の土地所有権の正当化は、神、ないし、人事を超えた自然法の権威と、この世のむき出しの現実の力 macht の、ちょうど接合面 interface にあたります。

 自然法と土地所有の正当化。日本におけるこの問題は検討する必要がありそうですね。

 「天皇」の漢語としての名称の起源は、確か、宮崎市定の考証があって、中国王朝(北魏だったかな?)に先例があったと思います。ですから、古代日本の創作物ではないと思います。

投稿: renqing | 2007年5月25日 (金) 04時03分

歴史的に考えると、中国で天(中国的な自然法?)と皇帝(世俗的権力)に分かれていたものを、日本ではそれらを足して2で割った天皇(一字ずつ取ってあるのでこの名称にしたのでは、と疑っています)という一個人に還元してしまったことに、ひとつの根源があるように思います。そこで儒学の仁とか、個人をこえた普遍的な道義の意味を捉え損なったのではないでしょうか。

投稿: まつもと | 2007年5月22日 (火) 19時15分

 同感です。維新クーデタ以降、この列島に君臨してきた権力者たちで、己の上に、書かれざる「法」、つまり「天地ノ公道」が厳として存在し、それに背くことは、結局、歴史に裁かれることである、ということを感じていたのは、ひょっとすると一人もいないかも知れません。
 彼らにとり、ありうるのは、 rule of law 、ではなく、 law for rule でしかないのです。

投稿: renqing | 2007年5月22日 (火) 12時18分

おそらく、それが国際法に対する日本政府の態度として、連綿と受け継がれているんでしょうね。

投稿: まつもと | 2007年5月21日 (月) 18時41分

まつもとさん、まさに、おっしゃる通り。薩長にとり、己の言うことを聞かない輩を抹殺するのは、テロとは言わないんでしょう。それが彼らにとって、「天地ノ公道」なんです。

投稿: renqing | 2007年5月21日 (月) 12時44分

しかし、「舊來ノ陋習」は具体的には攘夷とか外国人襲撃のことだったので、いちばん派手にやっていたのは薩長や孝明天皇なんですけどねえ。

投稿: まつもと | 2007年5月21日 (月) 11時16分

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