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2007年5月29日 (火)

「維新神話」とマルクス主義史学(2)

前回の引用文献中に、

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 また、このような西南雄藩への関心が戦後も継続したいま一つの理由としては、マルクス主義史学本来のあり方もかかわりをもったといえるかもしれない。すなわち、基本的には発展史観(歴史過程を人間社会の絶えることのない発展の過程ととらえ、常に権力を掌握し時代をリードする側にスポットをあてる)の立場にたつマルクス主義史学本来の発想では、明治維新における敗者である幕府側や朝敵諸藩、あるいは中立的な立場を保った諸藩への関心は生まれにくく、勝者である西南雄藩、およびそれを母体とする維新官僚に関心が集中するのはどうしても避けがたかったからである。
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という言があった。

 この表現では、今ひとつ問題の本質が不分明だろう。マルクス主義(史学)は、一定の信条から整合的に構築された理論的な体系だからである。

 それを象徴するものが「唯物史観」だ。念のため、最も巷間に流布している一節を引いておく。

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Es ist nicht das Bewußtsein der Menschen, das ihr Sein, sondern umgekehrt ihr gesellschaftliches Sein, das ihr Bewußtsein bestimmt.
(第4パラグラフの真ん中あたり)

It is not the consciousness of men that determines their existence, but their social existence that determines their consciousness.
(第6パラグラフの真ん中あたり)
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以上、マルクス『経済学批判』(1859年)、
Karl Marx, Zur Kritik der Politischen Ökonomie(1859) 、の、序文、Vorwort Preface より。

「人間の存在を決定するものが彼らの意識なのではない。彼らの意識を決定するものこそが彼らの社会的存在なのである。」

 この序文での一連が記述が、唯物史観の公式といわれるものである。このときマルクス41歳。若書きでたまたま筆が滑ったとはいえず、成熟したマルクスが確信をもって書いている。多分、終生このビジョンは維持していたと思う。無論、彼は極めて有能で、細部にもうるさい人間だから、この史観の一方で、 歴史の綾というものも承知している。だから、もし周囲にいる頭の悪い取り巻きが、「公式的」にこれを振り回そうものなら、言下に切り捨てたろう。それにしても、なお、である。人の持つ意識は、やはり究極的には、存在に、マテリアルなものに、規定されるのだ。

 西洋の歴史を巡る思想史には、古来から大きな対立点があった。「歴史は、その時々における、人間たちの自由な意志の積み重ねで織り成されてきた」 という自由意志論と、「歴史は、なんらかの理由、たとえば、神の意志、自然科学的因果法則等、で決定される(ので、意志の自由はない)」という歴史的決定論である。

 マルクスは、無論、後者の陣営に属するというわけだ。

 ということで、次回に続く。

■下記、参照。
「維新神話」とマルクス主義史学(1)
 「維新神話」とマルクス主義史学(3.1、若干増訂)
「維新神話」とマルクス主義史学(4/結語)

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