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2007年5月 8日 (火)

「明治維新」の帰結(2007.05.11追記)

「・・・、カトリック者は日曜日の労働を戒律で禁じられているので、ルロイ修道士が代表となって監督官に、「日曜日は休ませてほしい。その埋め合わせは、ほかの曜日にきっとする。」と申し入れた。すると監督官は、「大日本帝国の七曜表は月月火水木金金。この国には土曜も日曜もありゃせんのだ。」としかりつけ、見せしめに、ルロイ修道士の左の人さし指を木づちで思い切りたたきつぶしたのだ。」
 井上ひさし「握手」より

 P.M.アベが(たぶん)思い浮かべるたびに感涙に咽んでいるであろう明治の御世。その80年間の帰結がこれだ。そして、「美しい国」を目指す日本の、「美しくない」記憶、も。

 大日本帝国のパワーエリートたちはいまだ、大日本帝国「臣民」に敗戦の責任をなんらとっていない。「なぜ負けたのか」の説明責任もないし、国防に責任を持っているにもかかわらず、非戦闘員がうけた甚大なる被害に、なんら賠償もしていない。

「ニュルンベルグ裁判でナチの指導者が外国勢力に責任をとらされるのは、かれらがドイツ国民に責任を負うこととは別のことなのである。」
アルフレッド・シュッツ『現象学的社会学の応用』御茶の水書房(1980) 、p.281

 こんなふざけたことがまかり通っているマジックの元凶には、「明治維新神話」がある。いったい、日本の人文系の学者は、この半世紀なにをしていたのだろうか。

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