「維新神話」とマルクス主義史学(1)
以下引用。 家近良樹『孝明天皇と「一会桑」』文春新書 2002年 pp.21-22より。
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マルクス主義史観との関係
第二次大戦後、王政復古史観に代わって、学界の主流に躍り出たマルクス主義史観においても、分析に対象が反幕勢力におかれた点では変わりがなかった。依然として、西南雄藩(なかでも長州藩)中心に幕末維新期が分析され、幕府や西南雄藩以外の諸藩は軽視ないしは無視された。ただ、王政復古史観とは、近代天皇制を拒否する点が大きく違っていた。
たまたま、長州藩に関する膨大な史料が残されていたこともあって、同藩の改革を推進した政治勢力の階級基盤や政治・経済綱領といったものが分析され、同藩等での改革が維新政府の政策といかに結びついたかが問題とされ続けてきたのである。
いささかしつこくなるが、戦後の学界をリードした研究者の見解を要約すると、おおよそ次のような共通認識を有していたといってよいのではなかろうか。
幕府と西南雄藩の運命を大きく分けたのは、幕末期に実施した改革の成否であった。長州藩等は、内部に対立をはらみながらも、天保期以降の改革に成功をおさめ、「絶対主義(君主専制)への傾斜」を深めた。他方、幕府は改革に失敗し、絶対主義への転化の動きにおいて立ち遅れた。そして、天保期以降の藩政改革の実施によって、幕府に対する自立性を強めた長州藩等の西南雄藩は、やがて武力倒幕に立ちあがり、ついで、武力倒幕派もしくは彼らから脱皮成長した政治勢力(維新官僚)が、天皇を中心とする国家(近代天皇制)を樹立した。
こうした図式にのっとる以上、戦後も長らくの間、研究者の関心が、依然として倒幕を達成した側の政治的主体に対して集中して向けられ、薩長等の武力倒幕派や維新官僚の分析が急がれることになったのは、自然なことであったといえる。
また、このような西南雄藩への関心が戦後も継続したいま一つの理由としては、マルクス主義史学本来のあり方もかかわりをもったといえるかもしれない。すなわち、基本的には発展史観(歴史過程を人間社会の絶えることのない発展の過程ととらえ、常に権力を掌握し時代をリードする側にスポットをあてる)の立場にたつマルクス主義史学本来の発想では、明治維新における敗者である幕府側や朝敵諸藩、あるいは中立的な立場を保った諸藩への関心は生まれにくく、勝者である西南雄藩、およびそれを母体とする維新官僚に関心が集中するのはどうしても避けがたかったからである。
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上記に関する renqing のコメントは、次回に。
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