「書く」ということ
書くということは、とても困難な作業だ。この連休で、ほぼ同時代を扱った史書を2冊、
小島毅 『靖国史観 - 幕末維新という深淵 -』ちくま新書(2007年)
井上勝生 『幕末・維新』シリーズ日本近現代史(1) 岩波新書(2006年)
読んでその感を強くした。ともに、好感がもてたし、充実した高度な内容でよかったのだが、読後感が異なるのだ。
「それは私における最善のものです。私の全身全霊を打ち込んだものです・・・そのすみずみまで。おお、神様、これが誰かを喜ばせてくれますように・・・。死んだ人を生き返らせるのはなんとも不思議なこと。祖母が椅子にもたれてピンクの編み物をしているかとおもうと、叔父は草原を歩き回っているといった具合です。私は書きつつ感じるのです、『あなたがたは死んではいない、愛するものたちよ。すべては記憶されています。私はあなたがたに従うのみです。私を通してあなたがたをその豊かさと美のうちによみがえらせるために、自分というものは無にするのです。』すると、物につかれたような気がしてきます。」
Katherine Mansfield の手紙、 At the Bay を書き上げた直後、女友達に送ったもの
「マンスフィールドを読みながらつくづく考えさせられるのは、物を書く力というのは思い出す力だということである。人は彼女ほどには思い出すことに賭けはしないし、賭けることもできない。大抵のところで過去と折り合いをつけて生きているにすぎない。そして、思い出す力はおのずから深く感じる力でもある。深く感じれば感じるほど、彼女が書くことへの恐れと羞じらいをも深めて行ったことは疑い得ない。」
阿部昭 『短編小説礼讃』 岩波新書(1986年)、上記ともに、pp.164-165
以上は、文学の話だが、歴史叙述でも類似の境地は必要な気がする。
「・・・、歴史はもともと因果な性質で、因果関係を主軸としながら、目に映るのは事件や事態の大まかな成りゆきと確たる完結、終止した死の時間とでもいうべきものに限られるから、死者の口を割らせ、歴史の沈黙した扉を開くには、それ相応の人生経験と眼識と工夫を必要とする。歴史とは何かという問いが、たえず投げかけられる理由でもあろう・・・。」
金澤誠 『王権と貴族の宴』生活の世界歴史8、河出書房新社(1976年)、p.309
かつて、思想史家関曠野は、歴史を書くとは判決文を書くことなのだ、と断定した。一方で、死者の口を割らせその沈黙の扉を開くとは、死者を黄泉の国から帰還させ、己を無にして語らせることではないかと思うのだ。そして、史書を通じて此岸に生きる者たちの記憶のうちに死者たちをよみがえらせること、これが歴史家の任務であり、人類の先達たちへの鎮魂になるのではないかと考えたりもするのだ。
その意味で、心を動かされたのは小島氏のほうだったと、率直に告白しておこう。
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