河東碧梧桐、飛騨高山に現る
明治41年(1909)、河東碧梧桐は飛騨高山を訪れる。そのとき、小学校卒業後句作に励む魚市場の若い店員と出会う。少年は15歳だった。以後少年は、河東碧梧桐を師と仰ぐことになる。
明治44、大正元年(1912)。18歳の青年となった彼は、大阪に出て、特許事務所の事務員となる。
大正3年(1914)。彼は上京を果たし、神田の特許事務所で勤める傍ら、念願だった俳句漬けの日々を碧梧桐派の俳人たちと送る。
大正4年(1915)。青年はこの年創刊された句誌『海紅』の編集助手となる。
大正6年(1917)。青年は、中村不折、碧梧桐らの六朝書道研究会龍眠会の機関誌『龍眠』の編集にあたる。
大正8年(1919)、青年は『時事新報』の記者となる。同年、海軍機関学校の英語教官を辞めた芥川龍之介を知る。一方、後の小説のヒロインとなる榎本りんと結婚する。
大正9年(1920)、生涯の師となった志賀直哉に会う。
大正10年(1921)頃より、創作に没頭する。
そして、昭和2年(1927)、33歳となった彼は、代表作、『無限抱擁』を改造社から出版する。後年、日本芸術院会員ともなった、滝井孝作である。
ちょっと、かわうそ亭さんの海軍に行った少年を真似してみました。(^-^;
戦後高度成長期に入る前の日本、つまり、1960年以前の日本社会は、身分的要素の強い露骨な階級社会。この条件は、明治の少年、大正の少年、昭 和前期の少年、にとって当たり前の与件であって、賢く貧しい少年がそれを打ち破るには、給料を出して学ばせてくれる軍学校か、師範学校しか方法がなかっ た。
その一方で、この滝井孝作、吉川英治、そして松本清張のように、さらに厳しい環境や、机上の学にはその興味が発揮できない少年たちは、小僧、店員、事務員、で生計を立てながら、作家を目指すことになる。
資本主義社会においては、社会的流動性が高まる。当然、立身出世への意欲が掻き立てられる。いわゆる小説家もその手段の一つだったことは、ディケンズ(Charles John Huffam Dickens)の例を見ても、了解できよう。
*滝井孝作の年譜については下記をご覧下さい。
瀧井 孝作 略年譜
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