中国人は「漢文」を読めるか(2)
F.Nakajimaさん、まつもとさん、どうも。
F.Nakajimaさんが引いてくれたサイトでもわかりますように、現代中国語を解するだけでは、「漢文」を読解するのは困難だと思われます。
かつて旧知の中国人留学生に、「中国人は漢文がダイレクトに読めていいねぇ。」と言ったら、「中国人が皆、古文(つまり、四書五経や唐宋八家文のような古典)を読めるわけがない。」と、笑われてしまったことがあります。「古文の原テキストは、句読点もなにもない、ただ漢字だけが延々と書かれているもの(白文)で、文をどこで切るかで、意味が全く逆になったりする。これを読むために、古来、多くの学者が解読を試みてきた(これを経学 ケイガク という)のだから、何の古典教養もない人間が、中国人というだけで読めるわけがない。日本には訓読法があるので、日本語訳と解釈を同時に処理できるから、初心者には逆にハードルは低いかもしれないが。」というのですな。
また、F.Nakajimaさんが別に指摘されていたように、正格の漢文は、死語となったラテン語のように、ある意味死んでますので、極論すれば変化しない。だから、逆に、読書人の必須教養として、歴史的に彫琢されてきた解読法を一通り身に付ければ、学者でなくとも、現代人が読むのはそれほど困難というわけでもないでしょう。1992年に公開された中国映画、「心の香り(原題:心香)」で、少年(10歳くらい)が祖父に論語の素読と暗誦をいやいやながらさせられる情景がありますが、体を揺らしながら、唄うように諳(そら)んじていました。読書人の家では、そのようにして、幼少から音として体に叩き込んでいた、というありふれた光景なのだと思われます。
逆に、文が白話(口語)で書かれていると、その時代、その地方の口語の知識が要求されるので、かえって難しいと想像されます。朱子とその弟子が残した問答録、「朱子語類」全140巻は、12世紀南宋時代の、福建省あたりの口語なので、学者でも読むのは楽ではないようです。つまり、漢文訓読法で読むより、学者の現代日本語訳で読むほうが適切ということです。
ついでに。中国での小・中学校の国語の教科書にはたいてい魯迅の文が載っているようですが、全然つまらなくて、誰も面白いなんていうものいない、とは、その留学生の弁でした。そりゃぁ、小学生や中学生くらいの年齢で、魯迅を面白いと思ったら、逆にヘンでしょうね。かなり、毛色が変わりますが、日本の小中学生に、志賀直哉の「小僧の神様」を名作だ、といって、読ませたがる手合がいますが、少なくとも、私は全くどこが面白のかさっぱり分かりません。読ませたがるのは、単なる権威主義であり、文学的精神とは反対のものだと私は信じています。
※参照、弊記事。 日本語は animate な言語 ?
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コメント
まつもとさん、どーも。
プリミティブな無文字社会にとって、「文字」は驚異的なテクノロジーです。リアルなものもノミナルなものも未分化の世界ですから、現代から評価すれば、呪術的な世界でもあります。
大陸からやってきた「漢字」は圧倒的な文明の輝きと現実を動かすほどの呪力を有するものとして、この列島住人の世界に受け入れられたと思われます。
そういう意味で、まつもとさんのご指摘のように、この列島には、オリジナルな文字はできようもなく、紀元後6世紀ごろ、渡来人とともに大量に流入し、話し言葉としてこの列島にあった言語(原日本語)にも影響したはずで、今我々の使用する「日本語」そのものの形成にも「漢字・漢文」は影響を与えずにはおかなかったと思います。
投稿: renqing | 2008年7月 4日 (金) 12時41分
あとやはり、漢字と漢文が輸入されるまで、やまと語が書き言葉としてはほとんど白紙だったということではないでしょうか。
投稿: まつもと | 2008年7月 3日 (木) 07時39分
まつもとさん、どーも。
それにしても、全く異なる構造を持つ二つの言語に、よく対応規則を作ったものです。これは、ひとえに漢字が表意文字だったおかげです。
漢文を自国語で読み下したり、その手法で漢詩文を作ったりする行為は、ベトナムでも朝鮮でも行われていたと思いますが、私もあまりよく知らないところです。
投稿: renqing | 2008年7月 3日 (木) 02時08分
考えてみると日本語の古典的な書き言葉は、それこそ「文語」と呼ぶくらいですから、おそらく漢「文」を日本風に読み下す過程で形成されたものなのでしょう(いわんや〜をや、すべからく〜べし、みたいな表現が、もともとのやまとことばにあったかどうか)。その意味では漢文はじつは半分くらい日本語自身でもあって、訓読法とは日本語文語の生成過程をたどり直す作業でもあるのでしょうね。そう考えると、たしかに効率は悪くないと思います。
投稿: まつもと | 2008年7月 2日 (水) 09時41分
いやー、誤字、ありましたね。別記事のタイトルに。
本日、修正しました。
文が延々と続くのも1件、たまたま、発見しました。そういう気持で眺めるとあるもんです。
どなたか知れませんが、ありがとうございます。
投稿: renqing | 2007年11月11日 (日) 22時28分
どなたか分かりませんが、ご指摘ありがとうございます。
「文章が長くてわかりにくい」
これは耳が痛い。私の悪癖です。三島由紀夫も論じてますが、推敲の足りない文は、冗長で鈍重。今後、改善を期したいと思います。
「誤字脱字があります。」
もしお時間があれば、ご指摘などして戴けると助かります。一応、どの文も一度は見直すのですが。なかなか自分ではわからないものなので、ご協力戴ければ幸甚です。
投稿: renqing | 2007年11月 8日 (木) 00時12分
誤字脱字があります。これをなくすのが物書きの基本です。文章が長くてわかりにくいところもあります。
投稿: | 2007年11月 7日 (水) 23時19分
ZY様、コメントありがとうございます。
金庸という作家、全く知りませんでした。(-_-;
ちょっと調べましたら、非常に面白そうですね。奥行きもありそうです。徳間書店から全作品の翻訳もでてるようなので、本屋でのぞいてみます。
投稿: renqing | 2007年11月 6日 (火) 12時05分
実は魯迅の小説「阿Q正伝」もう中学の教科書から消えた。そのかわり、金庸の”武侠”小説を入れることに決めたそうだ。あれは中国人でも驚きに驚いた。
韓国の人が書いてくれた記事も(中国語)
http://chn.chosun.com/site/data/html_dir/2007/11/05/20071105000029.html
投稿: ZY | 2007年11月 6日 (火) 09時11分
tommy様、コメントありがとうございます。
私は、古典文学なんぞ、ほとんど読み慣わしませんが、この歳になってたまに読む機会があると、「面白いなぁ」と思います。ですから、読み手の成熟度を要求するものなのだと思います。「枕草子」など、感に入る文がありますね。国文学者の小西甚一は、「方丈記」など、中高生に読ませても分かるわけないから、外したほうがよい、といってましたね。その意味では、十代の年齢層には、古典学習は辛い作業になりがちなのでしょう。
また、教養としての古典語による古典教育は、かつては、英国ならパブリックスクール、ドイツならギムナジウム、フランスならリセ、といった、戦前日本の旧制中学タイプでの普通科教育機関が担っていたわけで、同世代人口の一部のこどもたちが享受できた代物にすぎません。国民の大多数には、実質的に「お呼びでない」領域であったし、いまもそうではないかと想像します。
投稿: renqing | 2007年8月 6日 (月) 03時43分
偶然発見しました。tommyと申します。
初めてコメントいたします。よろしくお願いいたします。
漢文(文言)というのは、
世界の古典「言語」の中でもかなり特殊なものらしいのです。
徹頭徹尾、古代以来どこまでも「文」としての漢字の文字列であって
「死語」でさえなく、口頭の言語として話されたことが
歴史上一度も無かったのではないかという極端な説さえあります。
詳しくは、F.nakajima氏などの識者の方々に譲ります。
それから、
古典というのは、古今東西、「つまらない」ものなのです。
古典とは、言語がその社会に関する高度な意思疎通の用に供するため
高級語彙や文法に至るまで形作られる最も重要な基盤になった作品
(文学作品とは限らない)であって
教育の面から言えば、暗記するほどひたすらこれを読み込むことにより
言語の教養を身に付け、運用力を向上させるというのが
(近代語の)古典教育というものの意義になるのです。
近代中国語で言えば間違いなく筆頭は魯迅、
近代英語で言えばシェイクスピア、イタリア語で言えばダンテ、
近代日本語で言えば、志賀直哉ではなく、夏目漱石です。
面白くないのは当たり前、辛抱強く読み込んで、
暗記するほどまでに読み込んで、言語運用能力の向上に繋げるのが、
古典の勉強、いや国語の基本勉強法です。
日本人は、ネイティブで話せて、漢字の読み書きさえ練習すれば
後は自分の好きな本でも楽しく読んでいれば
国語は自然に出来るなんて思っている人が多いのですが、
これは世界的に見れば例外中の例外、古典を暗記同然に読み込んで、
教養ある文法正則や言い回しが自然に出てくるようになることが
外国の大半における、高いレベルの母国語の学習法だったりします。
日本だと、暗記・暗誦を教育勅語のような前時代的なものだと言って
嫌う人も多いようなのですが、
「自由の国」フランスやアメリカでこそ、古典的な詩や演説などを
子どものころからみっちり覚えさせたりするものです。
投稿: tommy | 2007年8月 4日 (土) 00時11分