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2007年7月15日 (日)

中国人は「漢文」を読めるか(1)〔参照サイト追加2011/01/19〕

 知人から概略、以下のような質問を受けた。

質問1.現代中国人は、いわゆる日本人が高校で習うような「漢文」を、中国語として無理なく読めるのか。

質問2.高校漢文などで習う「漢文訓読法」は、外国語の古典として「漢文」を読む際には意味があるのか。

 これについて、「漢文訓読法」にも、外国語としての「中国語」にも素人の私が答えるのは赤面の至りだが、その周辺のことで見聞したことがないこともないので、少し書いてみることにする。明らかな間違いや誤解もあるかと思うので、気が付かれたら、コメント戴ければ幸いである。

◆いかな生粋の中国人でも、古典語としての中国語を学習、訓練していなければ、いわゆる「漢文」、つまり古典文語としての中国語は理解できない

 これは、日本列島で生を受け、現代日本語の会話、読み書きが不自由なくできても、たんなるその事実のみでは、平安文学が理解できないのと同じです。

 おそらく、現代ギリシア人でも、古典語としてのギリシア語を学習しないかぎり、原文では、プラトンもソフォクレスも理解できないではないでしょうか。だから、現代ギリシア人が気軽によめるのは、現代ギリシア語訳だと思います。

 結局、古典とは、古代人が古代語で書いたものなのだから、それなりの知的準備が必要だということです。

◆現代の中国人は、現代中国音で、古典中国語を読む

 これは、現代の教養ある日本人が、たとえば、谷崎潤一郎あたりが、書斎で万葉集を読むとき、古代日本語の音韻に注意しながら読んだりしない、のと同じです。奈良時代の日本語には母音が8つあったと言われています。

◆中国語の世界とは実は、多言語の世界なので、例えば、広東語を日常語とする中国人は、広東語発音で古典中国語を読み、北京語ないし、普通話を日常語とする中国人は、それで古典語を読む

 中国語には、現代でも、七大方言といって、有名どころでは、北京語(いわゆる北京官話、のちの、普通話のベースになったもの)、上海語、客家語、広東語、福建語、のような、方言があります。それぞれに native がいて、それぞれの native がそのまま話したら、お互いに通じません。

 解放前の中国ではありますが、魯迅(浙江省紹興の出身)が地方で(どこでだったか失念)講演する機会には、彼のなまりがひどくて、通訳がついたようです。ちなみに、魯迅は、彼の身の回りの世話もしていたその通訳の女性と結婚しています。

 香港映画を北京の映画館で見ると、中国語の字幕が付きます。北京人は広東語が分からないからです。

 この言語状況は、古代ならより甚だしいはずです。そこで、秦の始皇帝は、中華世界の統一のために、話される音の世界を統一しようとはせず(古代のテクノロジーでは無理ですから)、テクノロジーとしての書記法で統一をはかりました。それが小篆です。これによって初めて、中央権力が中国各地へ公的命令を文書として発給することが可能となったわけです。

 つまり、中国という、古代から非常に広大な、かつ多人口、多言語を包摂する混沌とした世界=宇宙に、一つの人工的秩序をあたえるものが、漢字だったわけです。それは、「音の断念」ゆえに得られたパワーでした。無論、中国語の言語としての特質も関係しますが、素人としてそこまで言及する知識がありませんので、歴史社会学的な側面のみの話です。

 漢字のこのような性格のため、ある種、容易に、全く言語構造を異にするにも関わらず、古代の朝鮮、日本、ベトナムにも、書記法というハイテクノロジーとして、まず支配層に浸透したわけです。

 だから、漢字そのものが、高度に、政治的、知的なもので、そもそもが庶民には手の届かない、貴族的なしろものだったと考えたほうがよいでしょう。

◆いわゆる「読書人」 intellectuals or the educated classes でなければ、いかな中国人でも、古典文語としての中国文=漢文は読めない

 前項の反面です。この事実は、古代中国から、現代中国まで同じです。なぜ、中国人が、知識人を「読書人」と言い習わしてきたかといえば、古典中国語で表記された文を読めるかどうかが、その知的断層を飛び越えられるかどうかの基準だからです。

 現代中国にまで存する懸絶した二つの世界、つまり、中国人エリートたちの持つ知的貴族性は、日本には(幸いなるか不幸なるか分かりません)、かな文字の発明により存在しません。あるいは、その断層は曖昧となりました。これが、中国人の社会と日本人の社会の質の違いを生み出してる一つの要因になっています。

◆日本の漢文訓読法は、過去の遺物か

 これについては、中国語を含めた外国語に弱い私などより下記のサイトを読んでみてください。

 日本で発達した漢文訓読法は、日本語話者にとって、歴史的に高度に洗練された技法であり、知的遺産です。これを現代中国語音読法と代替的に考えるのは愚かなことです。

 今は、全くダメですが、高校時代の一時期、漢文に熱中した瞬間があり、このときは、詩文なら初見でも結構、白文で読めた記憶があります。これも一種の語学なので、続けてないため衰え無くなってしまいました。

参照サイト
 漢学と中国語

〔追加2011/01/19〕「漢文」は「中国語」ではない

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コメント

お返事ありがとうございます。中国語の歴史について調べることになり、僕にとっても勉強になりました。また、書記法の差やそれが生む影響に注意を払ったことはなかったので、今後調べてみます。(アルファベット以外の表音文字はインドなどにも広まっていたので、表音文字よりもキリスト教の方が多声音楽に影響を与えたのではないかと思いますが)特に訓読は、他地域の文明を受容するのに必要な労力を減らすのに役立ったと思います。

投稿: eifion | 2022年3月 7日 (月) 08時20分

eifionさん

弊コメントへのresをありがとうございます。

eifionさんのコメントを受けまして、以下の記述を読んでみました。

小学館日本大百科全書「中国語」(平山久雄、記述)
〔中国語とは -
コトバンク https://kotobank.jp/ より〕

「これら諸方言〔五大方言のこと:引用者註〕に共通する祖先を想定し、漢祖語と名づけるならば、漢祖語の年代は古代語の時期〔前13~後3世紀〕に属するであろうが、漢祖語から分化してのちも、各方言は同じ方向に変化する傾向があったため、見かけ上の漢祖語の年代はそれより新しく、ことに、各方言の発音体系は「中古音」〔隋〕が別々の方向に変化したものとしてだいたい説明できる。

 方言の分化は、一方では標準語を生んだ。中国歴代の政治、文化の中心はおおむね華北にあったので、華北とくに首都の置かれた地域の方言が標準語の役割を果たし、白話小説や語録なども北方方言で記され、それが清(しん)朝時代の「官話」を経て現代の標準語(「普通話(プートンホワ)」、中華民国時代には「国語」)に受け継がれ、学校教育やマスコミを通じて全国に普及しつつある。」

 上の記述からしますと、現代中国語の五(or 八)大方言の著しい種差の説明は、印欧祖語のような分岐モデル(divergence model)が妥当であり、収束モデル(convergence model)で考えるのは不適切 or 事実誤認と諒解しました。ご指摘、改めて感謝致します。

 上記、平山久雄の文中に指摘がありますが、例えば、北方方言(官話方言)と福建語との《言語距離》は英語―ドイツ語よりも離れているといった事例、それから、私の個人的経験から、華北系と華南系の中国人の外貌の違い(前者が細身・高身長・色白、後者が小柄・色黒で、むしろ安南/ヴェトナム系に近い)、といったことから、古代の異なる民族が漢文明のもとに歴史的に統合化してきたはず、という思い込みがあり、当を逸した理解をしていました。ご指摘で、誤った思い込みを訂正でき助かりました。

 元来、私のアイデアは、人類史における無文字から有文字(文明化)への大変化を考える際に必要な視点は、文字を含む書記法をテクノロジー、むしろハイテクとみなすことだ、というものでした。それを考慮にいれますと、東アジア圏の「漢字」記法と欧米圏の「アルファベット」記法には、根本的な差異があり、前者では文字を「絵」として認識し、後者では文字を「発音の記録(=音符)」として認知する傾向があるだろう。それぞれの特質が、前者では「書」として、visualでpersonalなartが著しく発達し、後者では高度な「和声法」による百人近い人員を動員する管弦楽のような巨大で組織的なengineering artが発達する、といった傾向の違いを生み出す一つの要因になっているのではないか、といった推論をしています。

 「漢字」の持つ visual な文明化作用は、北の朝鮮、ツングース、モンゴル等の北方系民族や南のアンナン(ヴェトナム系)や列島の日本などの、言語の系統を全く異にする異言語族にも影響を与えましたが、「アルファベット」は古代中世までは印欧語族に止まっています。

 「文字」の持つ文明化作用の違いは、人間集団における「世界観」や「宇宙観」にも影響を及ぼさざるを得ないはず、という先入見のもとで21世紀の人類社会の考察にも考慮すべきだ、と考えているところです。そこからすれば、人類の平和的、ゆるやかな文化的共存、を考える際、漢字の文明史的展開(例えば「漢字」を各国語で文脈で発音して利用する)は何がしかの示唆を与えるものと考えます。

投稿: renqing | 2022年3月 6日 (日) 23時41分

また、漢字ができる前の黄河流域はすでにシナチベット語族系民族が担い手と言われる仰韶文化が広まるなど一体性を持っており、言語に関してもその系統のものが広まっていた(全く別系統のものばかりではなく)のかもしれません。

投稿: eifion | 2022年3月 3日 (木) 14時34分

先程のコメントの際は、非常に失礼な上、相手の見解に向き合うより感情的に自らの見解を書くことをしてしまい申し訳ありません。反論に熱中するあまり、相手への配慮を忘れていました。今後このようなことがないようにします。


文明についてのrengqingさんの見解は正しいと思いますが、それを直接言語に当てはめるのは困難だと考えています。文明の伝播に伴いその文章語や、特に文明や技術に関わる単語等は受け入れられるでしょうが、発音や口語の語彙文法、特に庶民のものは統制が難しく独自に発達することもあると思います。また、発音の変化の際や日常語彙で現地の交流がある異民族の影響を受けるかもしれません。

中国語の方言についてですが、近代の地方での発音は、中期中国語と呼ばれる5−12世紀頃の中国語(切韻などの韻書からある程度は分かっているらしい)(この単語で切韻の体系そのものを示すこともあるらしい)から変化したものとして、ほぼ説明できる(閩南語は例外)そうです。

投稿: eifion | 2022年3月 3日 (木) 10時57分

お返事ありがとうございます。
中国語に詳しくなく、ネットで調べた知識ばかりをもとにしていますが、私の意見を述べさせてください。また、参考になる信頼できる資料があれば教えて下さい。


0.rengqingさんの[4(]の主張は認めるが、その影響を受けたのは系統が異なる言語だけでなく、しばしば独自に発達する中国語の諸方言もである
1.昔の中国語を、(多様な方言の連合体であり、そのうち話が通じない者同士があるとしても)一定程度の発音、文法の共通性を(全てに当てはまるわけではないだろうが)持ったものと考える
2.中国語が華中、華南に広まったのは戦乱を避けるなどした大規模な移民の影響で、方言差の多くは現地住民等他民族との交流等や、現地での独自の変化によるものと考える(影響は硬い文体には現れにくく、口語が一番多いだろうが)
3.隋代の韻書「切韻」から当時の規範的、人工的な音韻体系(南北の方言の折衷で、いくらかの当時の方言)がそれなりの精度で復元され、閩語は明らかな例外だが現在の多くの方言の音韻体系は(ごく一部のより古い特徴をとどめているが)紀元後千年頃に分岐したと考えられている(英語版WikipediaのHistorical Chinese phonology(出典の言及が不足しているページで申し訳ないが)とRime table、Qieyun、Middle Chineseのページ参照、機械翻訳しても(多少誤解を生むまたは原文を参照しないと意味がわからない表現が出るだろうが)かなりの情報が得られる)
個人的には、それ以外の音韻体系は当時の他の音韻体系に圧倒され消えてしまったのではないかと考える(昔のギリシャでコイネーが他方言をほぼ置き換えたという類似の事例がある)
4.[5)]について、漢文とという書記方法自体が、一定の音の共通性を前提にしているもの(形声文字は、字体の一部が音を表している)であることから、少なくとも特定の集団の発音を元にした書記方法と言えるのではないか

また、本筋から外れるが
5.[2)]について
5-1.この二分法は地位の低い言語集団が接触により新たな方言(見方によっては一部の場合は別言語ともみなせる)を作り出し、かえって地位の高い言語内の(方言ではあるが)多様性を増すという現象を捉えられずらくなるかもしれない
(どこまでが一言語かという答えのない問題と関わるが、インド英語などの最近生まれた英語の変種,オーストラリア先住民の英語などはこう言えるだろう)
(場合により接触した白人の話す方言の影響が見られることに注意)
5-2.文明度の差でなく、社会的上下関係や民族間の接触、交流が言語変化に関わる場合を見落とす危険がある(ゲルマン系言語の影響下で成立したフランス語が好例)

投稿: eifion | 2022年3月 2日 (水) 09時06分

eifion 様

貴重なコメントありがとうございます。

ただ、貴コメントの主旨がうまく理解できません。

本記事の

「この言語状況は、古代ならより甚だしいはずです。」

という私の記述は以下のような意味で書いています。

1)人類史の経験則から、文明は、水のように「高き」から「低き」に流れ落ちる傾向がある。
2)言語も、この《高文明》から《低文明》の「生活様式」の流水に乗って、高文明圏の言語が低文明圏の言語に影響を与え、逆は起こりにくい。
3)具体的には、「帝国語」から「部族語」への影響は起こりやすく、「部族語」から「帝国語」への影響は起こりにくい。
4)東アジアの経験に徴すれば、古代/中世の中華帝国の「漢語(or 漢字)」が、周辺域の朝鮮語、ヴェトナム語、日本語に影響を与え続けてきた。近代以降では、欧州語(英語・仏語等)が非欧州圏に影響を与えている。その逆は、歴史的にレアケースと言える。
5)上記と類似のメカニズムが、中原を基盤とする広大な大陸帝国「中華帝国」の使用言語《中国語(実は多様な部族語の連合体で、漢字という書記法のみが共通)》の内部でも起きてきたと推論可能だろう。
6)二十一世紀の中国においても、《中国語》の世界には、下記のような七大方言
粤語(えつご)
北方語(ほっぽうご)
呉語(ごご)
贛語(かんご)
湘語(しょうご)
閩語(びんご)
客家語(はっかご)
がある。これは元来、構文、発音等まったく異なる多数の古代/中世の部族語を、中華文明が殷墟の時代から現代まで、これでも五千年かけて、ようやくここまで集約したということのなのだろう。そしてこの七大方言を通約するために二十世紀になり、最終的な解決を図るため普通話を開発し、普及させた。

 以上の見通しをもとに、本ブログ記事を書きました。今でも、それほど的外れな議論ではないと考えます。再コメントいただけるようであれば、お願いします。

ブログ主renqing、こと上田悟司

投稿: renqing | 2022年2月27日 (日) 23時28分

方言差の大きさについて"この言語状況は、古代ならより甚だしいはずです。"とありますが、こう言い切るには何らかの根拠が必要ではないでしょうか。
何も交流がなかったり、他言語との接触(北方は遊牧民等、南方は原住民等)があった場合、方言は別々に発展するので差は大きくなるはずです。一方、政治的統一などで地域間の交流が起こったり権威ある言語がそれらに影響を与えると差は縮まっていくと思います(こちらは素人の推測)。

(私は中国語に詳しくないので、どちらの方の動きが強かったかは知りませんし、地域ごとに違うかもしれません。)

投稿: eifion | 2022年2月26日 (土) 21時35分

後藤和夫様

丁寧なコメントありがとうございました。
参考になります。

近代白話文の成立に少し興味を持ちまして、
ネット上を検索すると、網羅的で信頼でき
そうな記事がありました。

弊ブログ記事にアクセス戴く方々向けに
情報共有として記載します。

現代中国語とは?
http://www.pacific-en.co.jp/x260-1.html

の中の、

A1.1. 現代書面語 (白話文)の成立
http://www.pacific-en.co.jp/x260-1-1.html#A-1-1

をご参照ください。

投稿: renqing | 2013年6月 4日 (火) 02時06分

先ほど長い時間を掛けて、なぜ「白話文」が難しいか、「白文」の「文言文」はどの様に読むかを延々と書いて、確認の場面で誤字を直そうと「Delete」を押したら、全て消えてしまいました。私の先生は、これまで誰も句読点を附けたことの無いという「文言文」の「白文」を、親切にもテキストに使ってくれましたので、コツが習得できました。しかしあの長文を再度打つ元気は有りませんので、どうしてもという方は、私宛メールを下さい。時間を頂ければ、「白話文」と「白文」の「文言文」と二回に分けてご返事差し上げます。 yttns201@ccn.aitai.ne.jp
但し、2013年8月20日から中国へ留学に行く予定ですからそれまでに。残念無念

投稿: 後藤和夫 | 2013年6月 3日 (月) 21時43分

私は研究者では有りませんが、一応十年間学部と、大学院で中国文学を専攻しました。その世界から離れてもう30年になります。ですからどこまで正確かは、自信がありませんが、思ったところを書いてみます。
文字の統一を図ると共に、文章語の統一を図りました。お互いの方言のため意思疎通を図るのは、困難ですので、まずは書面語をと言うことになりました。しかしその書面語も時代と共に変遷を重ね、その時代から離れるほど、難しくなります。しかし統一された書面語の需要は必ずあります。文学で無く、中央政府と、地方の文章のやり取り、中央での記録など皆必要です。これが定着したのは、多分科挙を通してと思われます。しかし漢文は知識人にも難しく、たまに句読点の附けるところを間違えて、魯迅から
揶揄されると言うこともありました。しかし一応の統一を見ましたから、その漢文は朝鮮、ベトナム、琉球まで及び、どこも公文書は漢文を使いましたし、明治時代の知識人は漢文の筆談で中国人と意思の疎通をし、漢文の中国旅行記を書いた者もいますし、夏目漱石の漢詩は魯迅から
褒められています。中国の国定の国語の教科書では小学校の二年から、漢詩が出てきます。小中では、それほどでは有りませんが、高校からは「文言文」が必修で、かなり難しいのも読みますし、大学受験に出題されますので、大学生であれば、ある程度の「文言文」は読めます。現在大学生の数は増えていますので、その層は厚くなっています。
ただし、では難しい「文言文」の読解とか「文言文」を使って作文とかはできないと思います。古い文学を専攻する学生なり、教授はある程度「文言文」を使いこなせると思いますが、確認したわけでは有りません。

 魯迅の通訳をしたのは、彼の、正確に言えば、愛人で、彼の学生だった、許広平が広東でしたのは知っています。訛りが強いと言っても、北京での講演に北京語の通訳は付きません。地方出身者が筆談でと言う訳にはいきませんから、共通の言葉が必要になり、「官話」が出来ました。いつからかは解りませんが、筆談では、いろいろ問題が生じますから、やはり早くから「官話」があったと考えて良いでしょう。ただ南京に首都が有ったときには南京訛りが入ったでしょうし、北京では北京訛りが入るのは避けられません。今の「普通話」はその直系です。「北京語」は「普通話」とは違いますし、少し聞けば「北京語」は「普通話」と違うことは解ります。

 次に日本での漢文ですが、理想から言えば、中国語の発音で読み、理解すると言うことになりますが、英語重視の日本に有って、第二外国語として、中国語を選択させ学ばせると言っても、週に二三時間ではとても漢文を賞味することは出来ません。それに中島敦のように、漢文読み下しに影響された小説家もでています。現行は、漢文読み下しを主とはしても、教師は中国語が出来、生徒に中国語の音で読んで聞かせる。ということが先ず為されねばなりません、

投稿: 後藤和夫 | 2013年6月 3日 (月) 18時30分

http://homepage2.nifty.com/kanbun/izanai/izanai1/02-02nyumon2.htm

大学の第二外国語に中国語を選んだので、大分忘れてしまっていますw

上のサイトが参考になると思うのですが、文語でも2500年の時を隔てると、ここまで違ってきます。

但し、舌を滑らせると中国の場合、「科挙」の存在が話をややこしくさせてしまいます。科挙というのは中国の「国家公務員試験」ですけど(一応wikipediaをお読みください)、その問題というのが、儒教の古典である、四書五経から出題されていました。ですからこれを受けようと思うものは、主だった注釈(これも膨大な数になる)も含めて全部丸暗記せねばなりません。清朝滅亡までは、文章を読める人間はこれらを理解できるのが普通のこと、だったと思います。

投稿: F.Nakajima | 2007年7月16日 (月) 14時25分

あと追伸で、たとえば筆談のときなどに古典漢文そのままの表現をすると、現代の中国の人はどう感じるのだろうか、とか興味あるところです。こんど旅行する時にでも試してみましょうかね。

投稿: まつもと | 2007年7月16日 (月) 00時59分

Fujiwaraさん、はじめまして。上の「知人」です。たいへん勉強になります。

> 文章中国語は漢代よりほとんど変化を遂げていない

素朴な疑問に、高校で漢文を習うときの躓きの石に、あの読んだり読まなかったりする助字とか語法、「而」とか「于」とか「而已」などがあると思うのですが、じっさい中国語圏に旅行してもまず見かけないのはなぜか?筆談しても「聞道」とか書く人がいないのは?ということがあって上のような問いになったわけです。

これらは白話文の興隆とともに使われなくなったのでしょうか。それとも私が知らないだけで、中国の生徒さんや学生さんは学校でちゃんと習うのでしょうか。

投稿: まつもと | 2007年7月16日 (月) 00時56分

 さて、この質問における前提条件として中国の「古典」というのが何時から何時までというのが、問題になりましょう。
 四書五経あるいは、それより遡るいわゆる「金石文」については、簡単に読むことはできません。金石文字の、どれがどの字なのか一見しただけでは、判別がつかないためです。しかし現代文に文字を書き直したものについては、読むこと自体は不可能ではありません。但し、文章はかなり晦渋なものです。
 時代をだいぶ下って、現代の中国人なら明代に書かれた西遊記なら読んで理解できるでしょうし、三国時代に諸葛孔明の書いた出師表ですら解るでしょう。それより遡って史記すら大意を掴むのは苦もなくできるでしょう。(私だって読めます)
 但し、例えば漢詩は近代のものでも読めないものが多々あります。これはわざと晦渋な文句を使っているためです。それに対し白楽天や陶淵明の詩なら、そう難しい字句を使っているわけでもありませんから読むのは難しくありません。又、特殊な文章、例えば日本語における判決文や行政関係などの特殊用語・表現で書かれているような文章は読むのに一苦労です。

 これは、口語体は各地で変化を遂げたのに対し、文章中国語は漢代よりほとんど変化を遂げていないことによります。
但し、文章が読めたのはいわゆる士大夫階級に限られるのもまた事実です。おそらく人口の大多数を占めた農夫などが文字を読めたとは思えません。

投稿: F.Nakajima | 2007年7月16日 (月) 00時36分

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