ホンネとタテマエのコミュニケーション/ Communication between Honne (an ulterior motive) and Tatemae (principles)
さて、前回、「正直者と嘘つきのコミュニケーション」というのを試してみた。そこでは、話者として、正直者と嘘つきにご登場願った。説明を省いてしまったが、コミュニケートされる側に彼らが立ったとき、やはりそれらしく振舞うと想定していた。
つまり、話者としてだけでなく聴者としても、正直者は、相手の言葉を真とみなして受け取るし、嘘つきは、相手の言葉を嘘とみなして受け取る。したがって、言葉どおりのコミュニケーションは、〔正直者→正直者〕経路でしか、成功しないとしたわけだ。
このことは、実質的に、市場(交易)経済が成立するための十分条件でもある。なぜなら、コンビニで今まさに買おうとしている肉まんに「本当に毒は入っていないだろうな?」などと考えていたら、市場経済は成立しないから。市場経済がそこそこ成立しているということは、買い手は売り手を結構信じていることの証なのだ。
で、今度は、本音(ホンネ)と建前(タテマエ)の対話を試してみよう。
念のため言い添えておけば、ホンネ話者は、発話するときもホンネ(本心)から言い、聴者としても相手の発話内容をホンネと受け取る、とする。タテマエ話者は、発話するときも当然タテマエでしか話さないし(本心は言わない)、聴者としても相手の言葉をタテマエとしてしか受け取らない、とする。
では、またマトリクスを作ってみることにしよう。
ホンネ聴者(へ) | タテマエ聴者(へ) | |
ホンネ話者(から) | good | N.G. |
タテマエ話者(から) | N.G. | good |
こうすると、意外にもコミュニケーションの成功確率は、50%もあるではないか。
というのも、タテマエ話者からタテマエ聴者へのコミュニケーションは、お互いにタテマエとして了解するので、意志の疎通としては齟齬が発生しないだろうと考えられるからである。
正直者と嘘つきのコミュニケーションでは、話者、聴者ともに正直でないとコミュニケーション不全が頻発しそうだ。これがホンネとタテマエのコミュニケーションだと、ともにタテマエ話者ならば、そこそこうまく行きそうではないかと推論できる。
どうりで、親子の対話はコミュニケーション不全になりやすいのに、赤の他人(=大人?)どうしならコミュニケーション障害を起こさないわけだ。
なぜって? いい大人どうしなら、互いにタテマエを言っている事を予期し、許容し合う。だから問題が発生しにくい、もしくは顕在化しない。しかし、その対外用タテマエ言葉で自分の子供に向かうと、たいていの子供はホンネとタテマエの二重規範をまだ作り上げてない。だから、親のタテマエ言葉をホンネ聴者として受け取ってしまい、親の言葉を文字通り真に受けて行動してしまうのである。すると親は怒り、子供は裏切られた(騙された?)と思う。
こうして、子供は、親のタテマエ言葉とホンネ態度のどちらを信じてよいか混乱し、場合によっては引き裂かれて身動き取れなくなってしまうのである。
世の中、大人全員がタテマエ話者だと、社会が working する一方で、家庭内にコミュニケーション不全が頻発する、というのは、なかなか「すさまじき(荒涼とした)」風景ではある。
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