藤田 覚 『松平定信』中公新書(1993年)
良書である。徳川の治世は、およそ270年。その中にあって、19世紀半ばの列島の国制変動に直接つながり、かつ徳川政権が主導的に政治刷新を行い得た、最後の転回点と言える寛政の改革。本書は、この改革の実態とその主導者、松平定信の政治家としての人物像を、新書という教養書の枠内で描き切った、一つの優れた晩期徳川政治史である。
私の目下の関心は、19世紀の日本国制史の変動にある。つまり徳川氏を棟梁とする、権力多元的な武家連合政権から、いかにして、京の一隅に逼塞せしめられていた「禁裏」を名目的元首とする、権力一元的な大日本帝国なる近代主権国家が誕生したかにある。
上記の権力移行は、大政奉還として歴史上出現した。ならば、まずそれを可能とする「大政委任」の歴史とその論理を知るべきとのことから、本書を繙いてみたわけだ。
下記の目次に目を通せばわかるように、この書における朝幕関係論として「大政委任」の記述は、それなりの比重を占めているが、私にとり目新しかったのは、「封建的社会政策」の項であった。
徳川氏の施策を「封建的」と表現してしまう素朴さには、かつての社会構造史流を想起させられて幾分苦笑を禁じえないところではある。私も中身を読む前に、「またか」と予断をもっていたが、その予断はある意味裏切られた。
それは、松平定信、およびその下僚たちの緻密な政策立案能力と実行力の一面を教えられたことが一つである。さらに、寛政期が、遠山金四郎を始めと
する名奉行の輩出(本書「仁政としての社倉」pp.84-85)、「名代官の時代」(本書pp.90-99)、であったことも、私にとり意外であったから
だ。『大岡政談』が寛政期ごろから成立してくるという指摘(p.85)を含め新鮮だった。
ここから感じるのは、いかなる正統性原理(徳川の武威、他)によるのであれ、少数者による多数者支配、という権力の本質は、権力者に、好むと好まざるとに関わらず、その支配の代償として、支配者をして多数者の厚生、福利を図らざるを得なくさせる、ということである。
その権力、その支配を通じて、権力者が私利私欲のみを追求することは、とどのつまり多数者を奴隷とすることに過ぎず、支配の受容とその見返りとしての生活の安定確保、という相互性 reciprocity を踏みにじり、いかな巨大な実力であったとしても、支配そのものを突き崩していくものなのだ、ということなのだろう。
小学生でもわかる単純な、支配におけるこの政治原則が、政治体制(王政、貴族政、民主政、他)に関わらず貫徹することは、先の参議院選の結果が、新たな歴史的事例として付け加わったことにも明らかだと思う。
もう一つの論点である、朝幕関係論としての「大政委任」論については、別途、思想史の関係書の書評の際に、触れてみたいと思う。
藤田 覚 『松平定信 - 政治改革に挑んだ老中 - 』中公新書(1993年)
目次
はしがき
松平定信の略伝
老中松平定信の登場
1.定信政権の誕生と基盤
2.定信の危機感と決意
封建的社会政策の展開
1.囲籾=社倉政策
2.江戸町会所の設立=七分金積立
3.農村への「仁政」
朝幕関係の枠組み作り
1.大政委任論の表明
2.御所造営問題
3.尊号事件
対外関係の枠組み作り
1.朝鮮外交の転換
2.ロシア使節来日と「鎖国」
3.国防体制の模索
むすびにかえて
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コメント
これは偏見かもしれませんが、東大の(東大卒ではなく、東大に就職している、という意味の)日本史のセンセイ方って、奥歯に物が挟まったような書き方をする人が多いような気がします。それが美風とされるのか、情報が過剰なのか、その方がなにかと有利なのか、はともかく。
投稿: まつもと | 2007年8月15日 (水) 01時44分
まつもとさん、どーも。
書店で、山川出版社、日本史リブレット、藤田覚「近世の三大改革」を立ち読みしてきました。これでも、田沼意次の評価はあまりポジティブなものではないですね。もっと大きな書店で、評伝「田沼意次」を見てみないと判断つきかねます。藤田氏が評価を変えているなら、学界の流れなんでしょう。もし、大意変えてないなら、評価、再評価相半ばするというところなのだと思います。
それより、このリブレットでは、寛政の改革が、明治維新への始まりとの判断を示しています。それが肯定的な判断を含むものなのかどうかは、あまりはっきりとはわかりませんでした。
寛政の改革の私自身の評価については、別途記事を書く予定です。
投稿: renqing | 2007年8月14日 (火) 22時27分
田沼は、昔の反動か、最近は再評価されすぎるくらい(ワイロはヌレギヌとしても、開発独裁官僚という面は確かにあると思います)されてますからね。みなもと太郎の「風雲児たち」の影響も大きいのではないでしょうか。
で、藤田の「松平定信」でちょっと気になったことがあります。このさい読んでみようかとアマゾンで検索したら、品切れあるいは絶版ですね。
1993年の本で、ということは、ひょっとして著者ないし出版社の方で「賞味期限切れ」の判断をしたのではないでしょうか。
田沼再評価+定信再「評価」の嚆矢となった、大石一派(忠臣蔵?)の手になる、講談社現代新書「新書・江戸時代」シリーズが1995年からなので、それからの10数年間に、学界の風向きもだいぶ変わったのかもしれません。
藤田の最近の本だと、薄い概説ですが山川の日本史リブレットに「近世の三大改革」があります。
投稿: まつもと | 2007年8月13日 (月) 10時41分
まつもとさん
昔、NHKで「天下御免」という、平賀源内を主人公とした風刺時代劇がありました。そのとき、田沼意次役を演じていたのが仲谷昇で、その田沼は、怜悧な政策マンで、とても好意的に描かれていました。その印象はとても鮮やかで今でも、私の田沼像を規定しています。脚本の早坂暁は、大石慎三郎をふまえていたのでしょうか?
幸い、先月、ミネルヴァ書房から、評伝シリーズ「田沼意次」を、藤田覚が出しているので、本屋でちょいと覗いてみます。
投稿: renqing | 2007年8月13日 (月) 05時53分
藤田覚の本はあまり読んでいませんが、田沼意次・松平定信の評価に関して大石慎三郎(とか、みなもと太郎)の流れとは真っ向から対立するようですね。後者は定信をポル・ポト呼ばわりしているし。
どうもこの辺は個人的な好み(これがバカにならない)とか史料の取捨選択(自説に都合の悪い史料を無視するのは、歴史学者の常識である由・・・)によるのだとは思いますが、あんまり一方に肩入れすることなく調べてみようと思います。
ただ、天明〜寛政期に江戸時代の大きな分水嶺がある、というのは確かなようですね。
投稿: まつもと | 2007年8月13日 (月) 05時00分