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2007年8月18日 (土)

映画「アズールとアスマール Azur et Asmar」(2006年)

 素晴しいアニメーション。とにかく美しい。緻密な絵柄も美しいし、動きも滑らかかつ繊細。音楽もイスラム風とヨーロッパ風が混交して心地よい。

 この日本語吹き替え版がまたよい。特に、クラプー(香川照之)の、イスラム世界を毒づきながら、それでもなおこの地を愛してるダメ西欧人が秀逸。また、その天才ぶりを包み込む天真爛漫なシャムスサバ姫(岩崎響)が愛らしい。

Synopsis_05_2

 絵のタッチが、私の遠い記憶の中にある、東映動画「安寿と厨子王丸」(1961年)を思い起こさせる。いま、「安寿と厨子王丸」の製作会社の解説を読むと、全編動く大和絵だという。だとすると、このイスラムのミニチュアール(細密画)を意識しているであろうフランス映画と、その絵画性において同調していることも頷ける。

 中世のヨーロッパ、イスラムを含む地中海世界のこと知って観た方がよいが、下記ジブリの日本語公式サイトを読んでおけば、ま、よかろう。

 登場人物たちの名にはそれぞれいわれがある。

 アズール → 青 (仏語)

 アスマール → 茶(アラビア語)

 乳母ジェナヌ → 天国、庭園(アラビア語)

 シャムスサバ姫 → 朝の太陽(アラビア語)

 賢者ヤドア → 賢人(ヘブライ語)

 注:ヤドアは、ギリシアやローマの学術をも究めた学者で、西欧において異教徒ゆえに被差別民とされたユダヤ人。しかし、イスラムでは、税金さえ納めれば、異教徒でも尊厳をもって生きていけた。

 私の好きな、クラプーは、監督自身による仏語からの造語。この逸話を含め、とても興味深い監督の談話は下記サイトを読まれたし。

アニメファン『アズールとアスマール』ミッシェル・オスロ監督インタビュー

 前半の中世フランスでの挿話は、結構リアルに描かれていて、後半、中世マグレブでの話が、ファンタジーに飛んでいるのには、アレッっていう印象だが、ま、よい。許す。

 今回の劇場公開中にご覧になることをお勧めする。

 なお、現地フランスで観、日本にいち早くこの傑作を紹介してくれたのは、下記サイトである。

この映画は観るべし、Azur et Asmar

*関連サイト

「アズールとアスマール」日本語公式サイト

「アズールとアスマール」仏語公式サイト
 是非その美しい絵をデスクトップの背景にしたいという方は、この仏語サイトのここから落とせます。

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コメント

>また、同時代における可能性の中で考察することに徹しても、それは必ずしも異時代との比較を禁じ手とする理由にはならないと思いますが、如何?

はい、そうであると思います。私も、人類の愚かさと賢さを比較したら、多少なりとも、後者が勝っているとは信じていますから、価値自由な立場を構成したうえで、その一つの価値基準として、現代の価値から歴史の評価を試みるのは、吝かではありません。ただ、往々にして、無自覚にされがちなので、そこは警戒したいということです。ここの過去ログで中途に棚上げしてある、トマス・アクィナスの亡骸を煮てしまう話などは、今の我々の感覚からすると、ちょっと度し難いものを感じてしまいます。しかし、これはやはり当時の信仰上の行為という文脈から一度は落ち着いて再解釈を試みるべき一例と思うわけです。

投稿: renqing | 2009年3月29日 (日) 22時20分

>歴史評価の場合は、その同時代の可能性の中で考察する必要があります

確かにその考察は考察で不可欠だと思いますが、同時に、『当時の人間には、何が見えなかったのか』を明らかにするためには、異時代との比較も必要だと考えます。
また、同時代における可能性の中で考察することに徹しても、それは必ずしも異時代との比較を禁じ手とする理由にはならないと思いますが、如何?

投稿: abduluzza | 2009年3月29日 (日) 03時29分

>しかし、ズィンミー制は、決して過去のものではなく、現代でもそれを有効な
>共存の原理だと主張する勢力があり、現に憲法や法律でムスリムの優越が確定され、
>ズィンミー的地位に異教徒を置いているイスラーム諸国も少なくない以上、
>現代の比較的信教の自由の保障された地域との比較も必要だと考えます。

この点は、門外漢の私からみて、イスラムにおける宗教改革、ということが気になるところです。結局のところ、新しい人類史的課題に応答できるように、ムスリム自身の手で脱皮を図らなければならないのだと思います。

>単に相対評価で『マシだから別によい』となる可能性もあります。

さすがに、「マシだからよい」とはならないと思いますが。ただ、歴史評価の場合は、その同時代の可能性の中で考察する必要があります。例えば、私は徳川日本を多くの悪徳がありながらも、実在した一つの人類史的経験として尊重するべきだと考えます。その中から、現代に生きる我々にとり、教訓とすべきことはないか、を考えることこそ歴史から学べる点です。この点は長くなるので、この私のブログで徳川日本の総括する際に再論します。

投稿: renqing | 2009年3月28日 (土) 02時20分

どうもお答えありがとうございます。

>歴史をできるだけ公正に評価するためには、比較の視点が大切
>ヨーロッパ中世・初期近代とイスラムの同時期を比較してどうなのか、ということが有意義

確かにそのとおりです。
しかし、ズィンミー制は、決して過去のものではなく、現代でもそれを有効な共存の原理だと主張する勢力があり、現に憲法や法律でムスリムの優越が確定され、ズィンミー的地位に異教徒を置いているイスラーム諸国も少なくない以上、現代の比較的信教の自由の保障された地域との比較も必要だと考えます。これを落とすと、イスラームの寛容性をただ理想化して捕らえてしまうことにつながる可能性があります。

>相対評価の視点を忘れないということが

はい。そして同時に、絶対評価の視点も、忘れてはいけないでしょう。同時代のヨーロッパと程度の差はあれ、近世・近代初期のイスラームもまた、他者を踏みにじる社会であったことには変わりないのですから。絶対評価の視点も盛り込まないと、単に相対評価で『マシだから別によい』となる可能性もあります。

そして、上にもあげたように、同時代だけでなく、異なる時代(現代)との比較も、相対評価の視点として重要だと考えます。

投稿: abduluzza | 2009年3月27日 (金) 21時21分

abduluzzaさん、コメントありがとうございます。タフなご指摘は大歓迎です。

結局、歴史をできるだけ公正に評価するためには、比較の視点が大切だと思われます。ヨーロッパ中世・初期近代とイスラムの同時期を比較してどうなのか、ということが有意義でしょう。

日本の義務教育では、ヨーロッパ宗教改革などに触れたりしますが、その時代が同時にいかに異端審問、魔女裁判などで血塗られた時代であったのか、ということは触れられません。

したがって、現代日本人の基本知識としては、自由・平等・人権の西欧、狂信・テロのイスラムという、欧米系のプロパガンダにまんまとはめられたままです。

そのバイアスが是正されるような情報提供が当面必要だと思われます。その際、面倒ではありますが、相対評価の視点を忘れないということが大事ですね。

投稿: renqing | 2009年3月27日 (金) 12時50分

>イスラムでは、税金さえ納めれば、異教徒でも尊厳をもって生きていけた

これは、同時代の他の社会に比べればという留保がつきますね。
イスラームにおけるズィンミー身分は、ただ単に余分に税を払うだけなく、ムスリムに比して数々の差別待遇を課されていました。
保障される『尊厳』とは、狭義の強制改宗からは守られるなどで、ムスリムからの(信仰に関する)侮辱等は必ずしも防げません。イスラームからの改宗も、それを促す行為も、死刑です。また、ズィンミー男性とムスリム女性とのセックスも禁止ですが、逆は許されます。
前近代イスラームが寛容だったというのは確かに事実なのですが、その寛容とは決して手放しで賞賛できるものではありませんでした。

投稿: abduluzza | 2009年3月27日 (金) 07時16分

猫屋さん、とーも。

>リアリズムではない想像力のつくる空想世界アニメ

はい。私めも、想像力の世界に遊ばして戴きました。

投稿: renqing | 2007年8月22日 (水) 02時34分

ども、帰仏した猫屋です。
(アタクシが作成したわけでもなんでもないんですが、)この映画がrenqing氏に気に入っていただき大変うれしい。猫屋にはフランスでの話と海の向こうの世界とのギャップは気になりませんでした。たぶん、自分のいる現実世界と(ある意味でのアルカディア的)想像世界であるマグレブ世界との違いが投影されてるからかなあ、、と、うまく言い表せませんがそんな気がします。
「安寿と厨子王丸」との近似性には気がつきませんでした。確かに、平面的画像のもつ深さや、動きのエレガントなところは似てますねえ。これを作ったミシェル・オスロという人物は、とにかく凝る人で、一時はかなりの貧乏も経験しながら自分の完ぺき主義を押し通した(ある意味ではこれはオリジナルなアニメ作家に共通するのかもしれませんが)職人肌のアーティストで、彼が「安寿と厨子王丸」や「白蛇伝」を見ていただろうことは大いに考えられます。いずれにしてもCGばかりに頼るハリウッド・アニメとは対極的に、リアリズムではない想像力のつくる空想世界アニメが評価されるのは当然なのかも知れません。わたしたちが必要としているのはまさにそんな物語なわけですから、、。

投稿: 猫屋 | 2007年8月21日 (火) 22時27分

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