日本サッカー、ゴール欠乏症の根源
前回、日本人選手のテクニックで、松井大輔の言葉を引いた。再びイタリア人からも指摘されているので、引用しておこう。
「いかに自分で考え、解決できるか」
「ACミランジュニアキャンプ ジャパン2007」リポート
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――日本の子どもたちの長所と短所を挙げていただけますか
ファビオ 例えば、こんなシーンをよく見掛けます。相手を抜いて、完ぺきに抜いたのに、もう一回抜いて、さらにもう一回抜いて、その後もう一回抜こうとする。イタリアの子どもだったら、相手を抜いたらすぐにゴールを意識するのですが……。つまり、日本の子どもは技術はあるのに、試合に勝つためではなくて、テクニックを磨くために練習をしている傾向があるのでは。
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上記の傾向は、他の分野、例えば、国際的な音楽コンクールなどに参加する日本人若手演奏家たちにおいても、指摘されるところだ。「演奏テクニックは高いのだが・・。楽曲の解釈、つまりなんのための音楽かが聞こえてこない。」と。
また、こういう事例もある。徳川期、日本で和算と呼ばれた数学が発達した。代数方程式、積分、行列式、三角関数とそのべき級数の展開、等、開国以前においては、西洋数学を知らずに、高度なレベルまで達していた。その一方で、難問あるいは珍問・奇問の考案とその解法の妙を、門流間で競う、という、茶道・華道のような一つの「芸」となり、解法テクニックの巧みさに溺れ、体系化する機会を失い、やがて明治期に大挙して流入した西洋数学に置き換えられてし まう。そして、自らは数学史の対象としてのみ知的関心をもたれるだけとなった。
こうしてみてくると、これまでの日本人の歴史的傾向として、芸=テクニックに溺れやすい、という弱点が観察できる。つまり、goal(=目的)を達するために芸やテクニックを磨くのだが、それが高度になればなるほど、それに自体に淫してしまい、goal(=目的)を忘れてしまう、ということである。
日本人フットボーラーが高度のテクニックを持ちながら、試合で「役に立たない」という病の根は深い。
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