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2007年9月22日 (土)

忠 > 孝

 1点、白崎様よりコメントを戴いているので、それへのレスとしてご参考までに。

国体の本義(文部省編纂、昭和十二年五月三十一日発行)、「結語」より引用

 我が国に輸入せられた支那思想は、主として儒教と老荘思想とであつた。儒教は実践的な道として優れた内容をもち、頻る価値ある教である。而して孝を以て教の根本としてゐるが、それは支那に於て家族を中心として道が立てられてゐるからである。この孝は実行的な特色をもつてゐるが、我が国の如く忠孝一本の国家的道徳として完成せられてゐない。家族的道徳を以て国家的道徳の基礎とし、忠臣は孝子の門より出づるともいつてゐるが、支那には易姓革命・禅譲放伐が行はれてゐるから、その忠孝は歴史的・具体的な永遠の国家の道徳とはなり得ない。

 明治constitutionの権力亡者どもも、よーく自覚していた、という傍証です。

 孝に対する忠の優越は、徳川初期から顕著であり、儒者の文書にも現れています。これは結局、関曠野の指摘するような「野蛮としてのイエ社会」、つまり、諸イエの力学的包摂関係として社会を構成してきた日本の、論理的必然だったのでしょう。

 魯迅が、中国人は砂だ、と嘆いたのも、究極の選択を迫られた中国人のファイナル・アンサーが、国家よりも家族、である故だと思われます。それは、よくある人間の感情として、自然なものではないか、と私も思うのです。己の親や子が逃亡中の殺人犯だとして、それをかばったり、かくまったりするのはむしろ当然だと。子どもが病気なのに、忙しくて会社を休めないとか、気がねなく早引きできない、ということを、どこかおかしいと思えない社会は、狂っています。

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