「啓蒙」雑考(2)
諸家の著書探索などという面倒なことをしなくとも、OEDのように、初出の出典を明記してある可能性がある日本語辞書としては、以下がある。
小学館「日本国語大辞典 第二版」2001年
あたってみると、翻訳語としての「啓蒙」の用例はなかった。これには、かなりガックリ。ここらへんが、OEDとの底力の差かな。
そうこうするうちに、この件につき、最近何か読んだことがあるような気がしてきた。「ハハァーン」と思い当たったのが、下記の書。
小島毅、近代日本の陽明学、講談社選書メチエ369、2006年
まだ数ヶ月前に読んだばかりなのに、何ですぐに気が付かなかったか。うーん、まあ歳のこともあるが(^^;、この書に関する私の関心が、著者の小島氏とともに、Vernunft → 理性、といったカント哲学の翻訳と明治の朱子学的心性の相互作用に向けられていたからだと思う。
で、上記の小島氏の著書の、pp.97-98、にこうある。
「付言しておけば、井上哲次郎の『哲学字彙』では「文華」と訳されている enlightenment(Aufklaerung) を、儒教の経典である『易』の文言を利用してはじめて「啓蒙」と訳したのが、この大西であった。」
そう、この大西祝(はじめ)こそが、Aufklaerung を「啓蒙」と訳したその人であるらしい。ただ、小島氏の著書では、大西と断定する出典を明記してない。仕方なく自分で探したので確認作業に手間取った。小島先生、今後は、一応典拠くらいは割注の形でもよいので示して下さいね。
ということで、早速、大西祝の著書に当ってみた。36歳の若さで亡くなっているので、その講義録などが、門人たちによって編まれている。結果は以下である。早稲田から出た講義録そのものの版もあるが、出版年が入っていないので、出版社から出ている最終版として、全集版を引用する。
大西 祝 『西洋哲学史』下巻 警醒社 1895年
(大西博士全集版第四巻、東京:警醒社,明36-37)
の、
第四十五章 仏蘭西に於ける啓蒙思潮、pp.375-6
に、
「斯くて主として経験学派に結びて、凡そ哲学上、科学上、道徳上及び宗教上の研究の結果として提出されたる世界観及び人世観を普及せしむる傾向は英国にも仏蘭西にもまた独逸にも盛んに行われてこゝに欧州全体の風潮をなすに至れり。之れを欧州近世思想界の歴史に於ける啓蒙時代(Aufklaerungsperiode)」と名づく、恰も是れ希臘に於けるソフィスト及びソークラテースの時代と相比すべきなり。」 下線引用者
とあるのが、それのようだ。
また、この大西の書には、巻末に付録として、西洋哲学史用語和原対訳表、という便利なものが収載されている。そこにも、
啓蒙時代 Aufklaerungsperiode
とある。
といったところで、今回の私の探索の旅は終了する。大西祝が最初の「Aufklaerung → 啓蒙」の発明者であるかどうかは、確定まではいかないものの、かなり初期の使用例であることは動かし難いとは言えよう。こちらにも、典拠は挙げていないものの、同様なことは記載しているので、明治哲学史では通説なのかもしれない。ただ、それにしても専門家の方々、典拠ぐらい示せよ。
今回の調査で最も嬉しかったのは、
を知ったことだ。私のように大学に所属していない者が、井上哲次郎『哲学字彙』や、大西祝『西洋哲学史』を、その原本にアクセスできたのもこのネット上のデジタル・リソースのおかげである。NDLに感謝。
現代においては、誰にでも接近可能な、強力な知的インフラを地道に構築できるかどうかが、真の意味での文明国か否かを分ける分水嶺だろう。我が大日本国のP.M.が、鉄火面から、うらなりひょうたんに変ったが、LDPの反知性主義的土壌が変ったわけではないから、NDLの方々の苦労も今しばらくは続くのだろう。踏ん張って欲しい。
明治における西洋思想の導入が、思想家の紹介というよりは、ドイツ流の「西洋哲学史」の紹介としてアカデミズム化されたことの影響や、西洋思想においても、18世紀の諸潮流が「啓蒙」としての思想史的に総括された(つまり、「啓蒙」が学問用語化された)のが、実はメンデルスゾーンやカントら、18世紀も第四四半期のドイツ人たちのよるのかもしれない、といったことは、続編として保留しておこう。
〔参照〕
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