再び、関曠野『歴史の学び方について』窓社(1997年)、から
下記の記事は、すでに、
として掲載していたものだ。今回、「社会契約論」のカテゴリーを作成するに当たって、どんなものが引っかかるか調べたら、そう言えばこういう記事もあったと思い出した次第。
ただ、読み返してみると、関曠野の文は本当にすごい、と思い直した。このたった527字、原稿用紙一枚半の中に、ロックの「自然権」概念とそこから社会契約が導き出される論理を示して間然するところがない。そして、なによりも、「政治的権威による統治」は人間にとり必然なもので、それゆえにその「正しさ」は常に弁証されねばならず、近代以降においてそれが意味するところは、つまるところ、われわれ朋輩隣人たちの社会契約によるしかないことを、この上ない力強さで語りきっていることだ。
この清々しい強さの源泉はなんだろうか。それは、関曠野は、もの書くとき、業績を上げるために paper を積み上げているのではなく、政治的権威を創造すべく定められている、朋輩隣人の一人として、つまり、現世に生を享けている一個の人間の義務として書いているからだろう。己の頭脳で考え、納得のいった、書かねばならないことだけを書く。余人の真似し得るところではないが、良き模範としてせめて心にとどめておきたいと思う。
以下、再掲( Collingwood 関連は若干加筆)。
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関曠野 『歴史の学び方について』窓社1997
の、第II部「自由と国家を問わずして歴史は語れない」は、おそらく戦後日本で世に問われた政治思想史として、最も優れたものの一つと私は考える。
この本の、学術書とはいえない体裁や分量、著者に官立大学の肩書きがない、などに惑わされてほとんど見過ごされているが、旧約思想を起点として、人間とは何か、人間にとって歴史とは何か、という旧約のテーマを掘り下げつつ、一貫した(西洋)政治思想の叙述というのは、日本では他に見当たらないと思う。外国文献などほとんど知らない私だが、例えば、20世紀イギリスが生んだ最も優れた歴史哲学の書と評される、コリングウッド『歴史の観念』(1946)*を一瞥しても、その第二部「キリスト教の影響」においてさえ、旧約思想に一顧も与えていない。それからすると、西欧の知的世界でもそのアプローチは特異なものと言えるかも知れない。思想の質として、私にはI.バーリン(Isaiah
Berlin)とつながるものを感じる。現代ヘブライ語などてんで分からないので、イスラエルの政治思想史の本はわからないが。
「・・・。自然権が問題をはらむ権利になりうるのは、それが各人の自主的な善悪の判断に基づく私的な立法行為とそうした法の私的執行を意味するからである。自然法が支配する自然状態においても邪悪な人間の不法行為は起きうるから、私的立法による制裁で自然法秩序を回復しようとする試みは避けがたい。
だが、私的立法は安定した予見可能な秩序をもたらすことができず、究極的恒常的な平和と安全というその目的を達成しえない。この目的は、各人が社会契約によってその自然権を公権力に譲渡し、普遍的で公平な法が各人にとっての共通な法として宣言されるときに達成されるのである。社会契約は、私的立法を可能にする各人の内奥の権威から制裁力をそなえた共通の権威を同意によって創造する。従って、それは平和と安全をたしかなものにする方便といったものではありえない。社会契約の下にある人々は、共同社会にとっての善と悪についての共通の判断を形成することに合意しているのであり、立法とはこの共通の判断の別名である。社会の平和と安全は、この共通の判断を形成すべく努めることによってしか保証されえない。集団を形成する本能の欠如に起因する人間の政治的ディレンマは、善悪をめぐる共通の判断の形成によって解決されるのである。」
関曠野 『歴史の学び方について』窓社1997、p.81-82、より
* R.G.Collingwood, The Idea of History, Oxford Univ Pr; Revised版(1994)、Part II. The Influence of Christianity
ただし、これは、Knox版ではなく、Jan Van Der Dussen版。どうも、Knox版はいろいろ問題があるらしい(改竄?)。下記、邦訳は、Knox版が底本。それにしても、Oxford の The Bodleian Library には、Collingwood の手稿が箱詰めにされて静かに眠っているらしい。Jan Van Der Dussen はその研究者の模様。 Collected writings でないんですかねぇ。出版されても、ばりばり読めないんだけどさ。
R.G.コリングウッド 『歴史の観念』 紀伊国屋書店(2002年)、小松茂夫・三浦修一共訳
第二部 キリスト教の影響
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