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2007年11月 3日 (土)

対内道徳 Binnenethik と対外道徳 Aussenethik

「かくのごとく共同体の仲間同士の間の経済的交渉、さきにいわゆる対内経済 Binnenwirtschaft と、縁もゆかりもない外部のものに対する経済的交渉、いわば対外経済 Aussenwirtschaft とが全然ことなり、また対内道徳 Binnenethik と対外道徳 Aussenethik とが全然ことなるというのが、近代西洋以外においてわれわれが常に遭遇する事実であるが、これに反してこの対内経済と対外経済との間の、また対内道徳と対外道徳との間のけじめを廃棄したこと、言いかえれば、対内経済の中に商人的生活態度 das haendlerische Prinzip が浸透したこと、さらにこういう基礎に立脚して労働が新しく組織されていること、これらの事実こそ西洋的資本主義の第二の特徴である。」マックス・ウェーバー『一般社会経済史要論 下巻』岩波書店(1955年)、黒正巌・青山秀夫訳 、p.171

 この「対内道徳 Binnenethik と対外道徳 Aussenethik」の二重基準の廃棄は、人類史上、禁欲的プロテスタンティズム諸教派のみが、初期近代、西洋各地で猛烈な軋轢ないし闘争に直面しな がらも終には成し遂げてしまったことだ、というのが Weber の有名な仮説の一側面である。

 ちなみに、「対内道徳 Binnenethik と対外道徳 Aussenethik」は、

General Economic History by Max Weber Translated by F.H.Knight,1927

において、Internal and External ethics と英訳されていること、また、この区別は、貨幣にも適用され、「対内貨幣・対外貨幣」という概念となって、Weber の経済社会学をK.Polanyi の経済人類学の実質的先行者としていることも記しておこう。

※参照。■「土着と近代」■

※本記事に関しては、次の弊記事も参照
 西欧におけるphallocracyの実態 2

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» ■土着と近代■ [日記はこれから書かれるところです。]
私見では、近代は、キリスト教、社会契約、憲法に表象されている。もちろん、国民国家(ネーション=ステート)や資本主義というものは、近代を語る上で絶対に外せないものだが、そこで語られることとは別の側面について考えたいわけだ。と、ここまで書いて、すぐさまミス...... [続きを読む]

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