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2007年11月17日 (土)

ヒューム=ハイエク保守主義の理論的欠陥(2)/ Theoretical flaws of Hume-Hayek conservatism (2)

 前回は、いくらか話を急いでしまった。ここで議論を整理しよう。

 Hume→Hayek と流れる保守主義理論とは、私見では以下のようにまとめられる。

 人間の諸制度は、漸進的に善くなるし、漸進的にしか善くならない。人間の理性の限界のため、事前に善なるものが分からなくとも、事後的には少しずつ判明し、そして少しずつなら、限界ある理性でもそれらの善と悪を識別でき、そうやって人間は少しずつでも善なるものを選び取っていくはずだ。だから、結果として自生的(spontaneous)にゆっくり形成された人間諸制度のみが(人間理性の限界にも関わらず)優れた善なるものであると言えるのである。したがって、人間の理性を過信したために、より善なる人間諸制度全体を、包括的、事前意図的に作ることできるとか、事前合理的に善なるものを判断したうえで、それを人間社会全体に適用させることは可能だ、というのは、人間理性の驕り(arrogance)に過ぎない。そういうイデオロギーは、設計主義(constructivism)であり、人間社会に害悪のみもたらしてきたのであるから、少しでもその気配があるならば、徹底的に批判しなければならない。

 概略、このようなものだろう。で、彼らの理想を実現しているのが、グレート・ブリテンの歴史なのである。ということは、限界ある人間の理性がゆっくりと落ち着いて選択していけば、どこの人間諸制度もいずれグレート・ブリテンの人間諸制度に収束するだろう、ということになる。

 前回、進化の理論*の特徴を述べた。そこからまず分かることは、たとえ進化の過程があったとしても、それが一意(unique)に収斂するとは限らないし、同一の環境においても、多様性を示すことがあり得る。生物の進化プロセスで実際に起きていることは、種の多様性とその並存ということだった。

 上記「進化の理論」の知見からすれば、どこの人間諸制度もいずれグレート・ブリテンの人間諸制度に収束するだろうとか、それのみが善なる人間諸制度だ、というのは彼一流の能天気な予断に過ぎない。念のために言い添えれば、グレート・ブリテンで育成されてきた「法の支配」などの考えは、人類にとり優れた共有財産だと私も信じているが、それが唯一善とまで断定することは、結局、Hayek が非難して止まない理性主義者の「驕り(arrogance)」と選ぶところはない、と考える。

 また、生物進化の理論から学べることはもう一点ある。変異・変化の契機は突然変異(mutation)だけではないことである。もう一つの重要な契機は、交配・交差(crossing)だ。

 計算機科学の分野に、遺伝的アルゴリズム (Genetic Algorithm, GA) というものがある。それは進化プロセスが生物界において環境に最適な種を事後的にうまく選び取っている機構ならば、何らかの解を探索する計算手順に応用できるのではないか、と1970年代に考案されたアルゴリズムの一つだ**。ここでは、mutation も crossing もともに使用するが、興味深いことだが解探索の効率化に貢献するのは、 crossing であることが、実験的(経験的)に知られている。つまり、よい進化に突然変異などあまり役に立たないのである。

 ハイエクは、グレート・ブリテンの人間諸制度の発達が、あたかも大陸の constructivism に「汚染」されずに済んでいるかのような叙述をするが、彼の「大好き」なコモンローもローマ法の影響を免れてはいないし、Adam Smith にフランス・フィジオクラートの「自然」観念の影響が顕著なことを見て取るのはそれほど難しくない。だいたい、連合王国になる以前、スコットランドは、イングランドとは別の王国であり、その気風は18世紀にも厳として残り、スコットランドの啓蒙思想があれだけ豊かな実りをみせたのは、イングランドをスキップして、海上交易などを通じて直接、大陸諸国、特にフランスと交流していた点は見落とせない歴史的事実だ。

 つまり、グレート・ブリテンの人間諸制度の発達そのものでさえも、他種、たとえば、大陸諸国との crossing の益を多いに蒙っていると言えるのだ。

 このことから気が付くことは、Hume-Hayek conservatism には、歴史における偶然とか、事件 events という側面への考察が脱落していることである。歴史とは、自生的な部分と事件 events 的なものとが綾なす織物なのだ、とも換言できるなら、そういう側面に配慮する知的繊細さの不足を感じないわけにはいかない***。

 この点は、自生的形成と歴史的形成を識別しなかったとも言い換えられるだろう。

 ここで、Max Weber の歴史社会学に触れる必要があるが、とりあえず次回へ続くことにする。

*「進化」については下記を参照。
論理と因果(5)

**詳細は、Wikipedia「遺伝的アルゴリズム」、などを検索されたい。

***この点に関しては、下記の訳者解説を参照。
F.A.ハイエク  『市場・知識・自由』 ミネルヴァ書房(1986年)
 なおこの編訳書は、その内容構成、解説ともに、簡にして要を得た名著で、この一冊で Hayek の全体像を知る十分条件は満たしていると思う。必要条件を求めるなら、春秋社版ハイエク全集にあたることになろうか。

*参照
Hume - Hayek conservatism の理論的欠陥 (1)
Hume - Hayek conservatism の理論的欠陥 (2)
Hume - Hayek conservatism の理論的欠陥 (3/結)
Hume - Hayek conservatism の理論的欠陥 (4・おまけ)

 

 

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