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2007年11月 5日 (月)

却初より

 却初(ごふしよ)より作りいとなむ殿堂にわれも黄金(こがね)の釘一つ打つ

 

              与謝野晶子『草の夢』、日本評論社(1922年)*

 

 いやはや、かっこいい。学芸の世界で己を顕そうなどと考える者は、ここまでの覚悟と勇気がなくてはいかんですねぇ。私も晶子の心意気の万分の一でも刻む所存であります。

* 与謝野晶子歌集:巻頭歌 18:草の夢、より

 

** 意に反して、↓のようになることがあろうとも。芝木好子「湯葉」(1960)の導入部分から知りました。

 

わが草木(さうもく)とならん日に
たれかは知らむ敗亡の
歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに
過失を人も許せかし。
過失を父も許せかし。

 

萩原朔太郎『宿命』創元社(1939年)、より

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