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2007年11月 7日 (水)

理非の判断権分有の原理

 この表題は、西洋法思想史になじみのある方なら、一瞬、「自然法」のことではないか、と思われるだろう。

 ところが、これは鎌倉時代の武士の法意識をあらわしたものなのだ。

「このように「道理」なり「理非」なりは、権力や実定法によって動かされるものでなく、逆にこれらのあり方を規定するものだという観念が、この時代の武士社会には厳として存在していたのである。」  石井紫郎『日本人の国家生活 -日本国制史研究Ⅱ- 』東京大学出版会(1986)、p.84

 そして、

「・・・、幕府が「理非」の判断権を独占していたわけではなく、むしろ在地領主の一人一人がそれを分有していたと言って過言ではない。」同上、pp.86-7

、という現象を指して、「理非の判断権分有の原理」p.87、と著者が名づけたものなのである。

 さて、これをどう考えたらよいものか。

 これを、原理的には実定法秩序を越え、逆にそれを基礎付ける法意識だとするならば、「自然法」的なものと言わざるを得ない。しかし、武士が暴力の専門家である以上、この意識は暴力行使の正当化の意識として日本史上では現れることとなる。

  一方で、この理非の判断権の分有は、近世=初期近代にかけて、「公戦(おおやけいくさ)」の論理のもと、天下統一政権に回収されていく。

 生煮えの考察メモとして、残しておくこととする。

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