思考モデルとしての法/ law as thinking model
決定や行動、発話や議論における時機についての問題は、昔の哲学にとっては中心的なトピックであった。「合理的なことを企てる rational enterprise」際の当のモデルは、十六世紀の学識者にとっては、科学ではなく法律であった。
法律学は「実践的合理性 practical rationality」と「時機 timeliness」とのつながりのみならず、地域的多様性のもつ意義、特殊性との関連、および口頭で行う議論におけるレトリックの効力などをも明るみに出す。これと比較してみると、普遍的な自然哲学を目指すすべてのプロジェクトは、人文主義者には疑わしいものに思われた。100年後、事態は逆転していた。デカルトと彼の後継者たちにとっては、時機的な問題とは哲学とは何の関わりもないものであった。かわりに、彼らの目的は、変りやすいすべての現象の背後にある造化の神の永遠の構造を明るみにだすことであった。
以上、スティーブン・トゥールミン『近代とは何か』法政大学出版局(2001年) 、pp.53-54より
「資源なき第三者」は、紛争解決のために何らかの物理的資源を動員するわけにはいかないから、なしうるのは紛争についての何らかの判断(決定)を示すことだけである。そして、紛争当事者をコントロールできる資源をもたない者がする決定なのであるから、或る目的達成のための手段として当事者を位置づける(こうするには資源を要するから)、という思考様式(目的=手段思考様式)に立つことはできない。そして「目的=手段」の関係が成立するには、因果法則の存在を前提としなければならないから、このことは、「資源なき第三者」の依拠する思考様式が因果法則を前提とした思考様式ではないことを意味する。ということは、「資源なき第三者」は、紛争当事者を高次の目的を達する手段としてではなく、それ自体いわば目的として扱わなければならない。つまり、紛争当事者を相互に比較するという思考様式を採らざるを得ない。すなわち、因果法則を用いない以上、紛争当事者の一方を他方と比較してどのように扱えば、「公平」か、あるいは「正義」に適うか、という規範的判断に依拠するほかない。たとえば、「資源なき第三者」は、紛争をあたかも病気のごとくに位置づけ、病気の原因は何かを調査し、当事者の一方または双方のどの部分に原因があるのかをつきとめ、その原因を除去する、という思考様式に立つことができない。それは、当事者と当事者を全体として比較する思考様式ではないから、一方のみに偏した、「公平」でない判断として受けとられ、紛争解決の役割を果たさないからである。
以上、平井宜雄『法政策学 第2版』有斐閣(1995年) 、p.17より
法文化、ないし「思考モデルとしての法」は、西洋が生み出した人類への大きな貢献である。しかし、明治において制度として「法」が導入されたとき、日本伝来の「法度はっと」観念と意味的干渉を起こし、目的=手段志向、あるいは因果論的志向の下に理解され運用実践されてきた。そのため、現代においても、市民常識としての「法」は「ご法度」とほぼ同義語のままであるのが実態だろう。それからすれば、日本において、「近代」は「 postmodern 」ではなく、「 Re-modern 」こそがやはり「問題」とされるべきだし、少なくとも「西洋近代」への日本なりの態度決定は、「近代」の「西洋における文脈」の再考を経たものでなければならないはずだと思う。
思想史的に、「二つの『科学による反革命』* 18世紀スコットランドと19世紀フランス」というストーリーに気が付いたのだが、当夜の資源が枯渇しつつあるので、このテーマは後日ということで。
* F. A. Hayek, The Counter-Revolution of Science: Studies on the Abuse of Reason. 『科学による反革命』(佐藤茂行訳、木鐸社)、を借用。
※20190304追記
下記、弊記事も参照。
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