一次文献至上主義の陥穽
「ヴェーバー自身も述べていることであるが、こうした広大な領域の研究をおこなうためには、自分自身で一次文献を直接渉猟することなど到底出来ず、どうしても二次文献に頼らざるを得ない。それは純粋に学問的に見た場合、独創性を主張することは何ら出来ない業績にしか過ぎない。」
羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』PHP新書(2007年)、pp.48-49
羽入氏の物言いには、他者に対する respect が欠けている。折原氏を憤激させる要因にこれが一つあるだろう。他の Weberian の感情過多の反応も、羽入氏の Max Weber へのrespectの無さに理由が求められる。要するに、無礼者!っていうところか。ま、それもどうかと思うのだが。
しかし、私に言わせれば、羽入氏のこういった文献学帝国主義=一次文献至上主義こそが、Max Weber 没後わずか17年後、今から60年も前に、ほぼ羽入氏と同じ文献学的根拠と論証方法で、日本人が Weber「倫理」論文の問題点を正確に指摘していたという、二次文献学的事実に疎くさせるのだ。
したがって、私もこう指摘できるかもしれない。羽入氏の仕事も、先人という他者への respect を欠いたため、結果的に「純粋に学問的に見た場合、独創性を主張することは何ら出来ない業績にしか過ぎない」と。
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コメント
加齢御飯 さん
同じ穴の狢でしょう。
所属メンバー全員が、「空気をよめ」れば、「議を言う」必要がなくなります。
私は金輪際、住まいたくない世界です。
投稿: renqing | 2007年12月29日 (土) 02時20分
トラバをどうもありがとうございました。しかし「議を言うな」と「空気をよめ」ではどちらがひどいんでしょうね。
投稿: 加齢御飯 | 2007年12月28日 (金) 13時59分