「地球温暖化は商売道具」という論法
うーむ、「地球温暖化は商売道具」っていうのは、巧妙なレトリックですね。ある種の「ホンネによるタテマエの暴露」=「イデオロギー暴露」のレトリックです。「地球温暖化」という、正誤の決着可能な事実問題を、「話者の動機」という、価値問題にすり替えるわけです。話者を道徳的に劣化することで、事実問題の「価値(重要性)」を劣化させる論法です。
この弧状列島の知性史において、繰り返し見られるタイプのレトリック*です。よく見られるのは、国際法、あるいは、かつての国際連盟、今の国際連合といった、普遍性=原理・原則的な価値といったものを、その論者の特殊的動機によって貶めるものですが。
相も変らず、軽率にもこの手の論法になびく輩が多いというのは、この弧状列島の住人の頭が、単に悪い(?)ということだけでなく、より深刻な知識社会学 的問題だと考えるべきでしょう。そう言うふうに問題を立てないと、ある種の秀でた国力はあるが、「力とは、その使い方が賢明な智恵に制御されて初めて本来 の力となる」ということをわきまえないため、大抵は諸外国の迷惑=近所迷惑になる、というこの列島の国制史を再現し続けることになります。
この重要かつ深刻な知識社会学的問題は、私なりに近世国制史の具体的研究の中で、考究を試みることとします。
**田中宇氏は興味深い論者ですが、国際問題の専門家ではありながら(それゆえ?)、伝統的な日本の思考法を体現している人物だと思います(それに気が付かないところも、日本的!)。採るべきところは採り、unco なところは捨てる、という処し方が賢明でしょう。
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コメント
> 感情に引っ張られて、なにやらわからない「口喧嘩」のようなものになっていく。
さらに悪いことには、それが「議論」というものの範型として相続されているように思います。ネット右翼の(たぶん)若者の議論は、彼らの親たちの世代の戯画でもあるのではないでしょうか。
投稿 まつもと | 2007年12月15日 (土) 02時06分
ご体調いかがですか。
御記事、大変興味深く拝読しました。
>正誤の決着可能な事実問題を、「話者の動機」という、価値問題にすり替えるわけです。話者を道徳的に劣化することで、事実問題の「価値(重要性)」を劣化させる論法です。
これがこの列島特殊なものかはわかりませんが、確かにこの列島において本当によく見られるものだと感じます。
>単に悪い(?)ということだけでなく、より深刻な知識社会学的問題だと考えるべきでしょう。
賛成です。
私は、この列島の人たちが議論において、感情を切り離せないでいるのを度々経験してきました。感情に引っ張られて、なにやらわからない「口喧嘩」のようなものになっていく。議論を詰めるということの大切さこそ、近代議会制の要諦だと思います。それなのに、この国のかたちをつくった薩摩なるところでは、「議を言うな」と言った物言いがなされていたようです。ちょっとそういう雰囲気残っていませんかね?
田中宇氏に関する問題は、彼自身よりも、彼に影響を受ける人たち(列島の住人!)の方にこそありますね。
私は、田中氏は自身の「アメリカ多元主義化」一元論に拘泥しすぎだと思っています。彼のような立場からの発言は必要ですが、それほどアメリカの意思決定過程は一元的なものじゃないだろ、っていつも思っています。
投稿 足踏堂 | 2007年12月14日 (金) 01時46分