歴史人口学と日本史学の微妙な関係(ver1.2)
いま、この列島における、近世国制史と近世人口史の融合を目論んでいる。
そこで1点気になることがある。それは、吉川弘文館から出版されるような、従来型の文献に基づくいわゆる実証史学系統の日本史学と、宗門改帳などから数量的データを構成・抽出し、それを統計学の手法や人口学の分野で鍛えられてきた概念を駆使して、斬新な近世像を次々と提出し、一定の地歩を知的世界に築きつつある歴史人口学の関係である。
試みに、日本史における最新の中辞典といえる、『岩波日本史辞典』(1999)をみてみる。その編集委員中に、歴史人口学の総大将である速水融の流れを
引く、いわゆる Hayami school
の面々は皆無のようだ。1990年代に出た、『岩波日本通史』にも、それらしき論稿は収められていなかった*記憶がある。
また、21世紀に出た最初の通史で ある、講談社の『日本の歴史』全26巻には、 Hayami school の大番頭(ばんがしら、と読むべきか?)ともいうべき、鬼頭宏による『日本の歴史19 文明としての江戸システム』(2002)が入ってはいる。これ自体は学問交流の一つの前進として慶賀すべきであろう。しかし、奇妙なことに、この講談社シリーズの近世を受け持つ、他の5巻中において、 Hayami school の業績を参照文献に挙げている巻は一つとしてない。
一方、おそらく、現在存命中の歴史家で、「欧米」で最も知名度の高い日本人研究者は、速水融をおいて他にいまい。念のため申し添えれば、日本史学界の保守性をあざ笑っている訳ではなく、単純な事実を述べているに過ぎない。
日本史分野において、真に歴史家の名に値する史家は、戦後、輩出はしているのだろうと思うし、私にも多少言いたい人物はいるにはいる。しかし、日本人が、ブローデルの「フェリペⅡ世時代の地中海と地中海世界」を喜んで日本語訳しようとするように、例えば、フランス人が石母田正の「中世的世界の形成」を仏語に訳出しようという情熱は持たないだろう、ということである。
速水融は、その点、フランスで開発された歴史人口学の手法を戦後いち早く日本近世史の現場に持ち込み、独創的な工夫を加え、従来の史家たちにあまり顧みられずにいた一片の史料・宗門改帳を人口史資料として宝の山に変えた。その豊かな資料性のため、この歴史人口学の分野では、日本が世界でも有数の面白い field になっている。その日本の歴史人口学の面白さをほぼ独力で立ち上げたのが速水だと言える。そのため、彼の名は、「欧米」の経済史学界では非常に高名なのである。
それにしては、である。この継子扱いはどうだろう。で、日本歴史人口学に属する人々の側で、いろいろ文句を言いたいことはあるだろうと思う。ただ、ここでは、歴史人口学側への注文を記しておきたい。私自身はこの人々の学的成果を重視する故である。
この学派は、かつて「近代経済学」と呼ばれた、現在の標準的ミクロ経済学を基準にして徳川期の農民たちの行動を考察する。自己利益の最大化である。その文脈で農民の合理的行動を前提としている。しかし、Max Weber も縷々警告しているように、「(経済)合理性」という観念自体が歴史的形成物であり、そこには現代的思考が heuristic に働く危険性が常に伏在している。「合理性」観念そのものが、おそろしく歴史形成的に多様なのだ。そういった事柄に関する知的繊細さが欠落しているのではないかという懸念がこの学派に対してある。
それから、網野善彦がこれも繰り返し忠告していることだが、「百姓」という言葉が実は農民を意味するとは必ずしも言えない、という点である。とすると、「百姓」の生産物もじつは多様な財・用益を含むものであるのに、あたかも、かつてマルクス主義経済史学のように、その産出するものが農産物のみであるかのように考える危険性があるということ。また、室町期後半(つまり戦国期以前に)に胎動する「経済」は、速水のいう「経済社会化」を十分示しているのではないかという点。そのうえ、この列島の場においてはそれが、「聖俗」観念の転換と関連するという点、等々。
手短に言うと、悪しき「経済決定論」に陥っているのかもしれない、ということである。それが、歴史人口学による統計学的な結論の、歴史学的解釈を貧しくしている可能性があるのでは?、という懸念なのだ。
ま、私が目論んでいるのは、歴史人口学の成果を国制史レベルで再解釈し直すことなので、隙間を埋めることを目指している訳だが。他にも本質的な問題点があったような気がするのだが、書いているうちに忘れてしまったので、思い出したら後日追記する。
*岩波講座 日本通史〈第1巻〉
pp.115~147に、唯一、速水融が「人口誌(Demography)」を寄稿していた。
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コメント
歴史<学>、歴史人口<学>、という学会のハナシをなさっているとおもいます。<百姓>についてあるいは<天皇>についての誤認識は、学会だけの狭いはなしではないでしょうか?網野氏も永年の研鑽のあげくやっとこれを悟った。農民、とか 百姓、とかのカテゴリは 農民や百姓自身には必要ないのでしょう? 必要なのは管理する側の藩(だから藩は戸籍を造って管理したが、明治になって政府はこれをやらなかった。。と速水氏は言っている)であり学会、だとおもいます。
歴史家、というのはあとからいろんな座標を差し込んで合理、非合理、とラベルを貼るのが仕事だが、それはその座標を持ち込めば理解がスムーズだ、というだけのことにしかすぎない。速水さんが幕末に生きた殿様ならやっぱり<非合理>な行動を取るだろう、とわたしはおもう。
投稿: 古井戸 | 2008年2月26日 (火) 10時02分