リンゴ8個とミカン6個(2)
さて、前回は「引き算」だった。実はあれから「足し算」を小6の男の子にやってもらっていた。
「あのさ、この前ね、小1の女の子にやってもらったんだけど、ちょっと考えてみてくれない。リンゴ8個とミカン6個を足すと何個になる?」
相手は、不審な顔をしていたが、素直に、
「14個。」
と答えてくれた。そこで、私は畳みかける。
「そうかぁ。計算はあってるね。じゃぁ、聞きたいんだけど、14個って、何が14個あるの?」
一瞬、考えていたが、
「食べ物!」
と上手に答えてくれた。私は、「さすがぁ!」とか言いつつ、この問答は終了。
本来、全く異なる個物であるリンゴ8個とミカン6個を対象とするなら、ベクトル量として考える必要がある。しかし、この男の子は自分でそれをスカラー量に変換して答えてくれた。つまり、多次元の量を一次元の量に「次元低下」してくれたわけだ。これが人間の持つ、categorization 範疇化の能力である。つまり、「類」は、個物に内在しているわけではなく、それを対象とする人間側の都合によって、創出されるということである。
もう少し、突っ込みたいのだが、時間が押しているので、次の機会に。
〔注〕 是非、下記の名著をご参照いただきたい。
渡辺慧『認識とパターン』岩波新書(1978年)
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