ダーウィン進化論の本質(The essence of Darwinism)
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プラグマティスト、ジェームスはダーウィン進化論の良き理解者でもあった。彼は、当時広く流布していた、ハーバート・スペンサー流の「まちがったダーウィン主義」を批判していた。スペンサーは、進化が自然環境(風土)、祖先の条件などに起因するとして、社会が変化を決定するという主張がダーウィニズムの本質なのだとしていた。ダーウィンはあらゆる自然の変異が、無方向で無目的であることを積極的に肯定していた。またダーウィンの「選択」の概念には起こったことを後から(ア・ポステリオリ)記述する以上の意味は含まれていない。ダーウィンは、誰も選択しない、ただ結果としての選択が起こるだけなのだ、と言ったのである。しかしスペンサーはダーウィニズムを社会決定論的に読みかえていた。
ジェームスはこのような、おそらく現在も繰り返されているだろう、進化論についての誤解から、ダーウィニズムを守るために枠組みを進化論それ自体に求め、理論的な発見をした。
それは、ダーウィニズムを、自然に起こっている異なる二種の変化を分離したままでつなげた理論なのだと理解する方法である。変化の一つが、ジェームスの
言葉では、「特異性を生み出した原因」、現代の用語でいえば「変異」である。生物とは無尽蔵(無限ではない)の変異を供給しつづけているシステムである。
そしてもう一つの変化が、ジェームスが「それが生み出されたのちにそれを維持する原因」と呼び、現在、「選択」と呼ばれているシステムである。
ジェームスは「変異」と「選択」という二つの変化が互いに関連がないことを喝破した点がダーウィンのすばらしい独創性だったのだとする。たとえば「選択
が変異を生む」というように、二つの変化を一つのことのように考えてしまうと、変化の説明に「目的」が入り込んでしまう。ジェームスは、ダーウィンの進化
論に、世界を刻々と異なるものにし続けている、二つの差異化のシステム、彼の言葉では、多様性を生む「放出的力」と、結果としての選択である「他動的力」
の間の意義深い理論的断絶を発見した。
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佐々木正人「運動はどのようにアフォーダンスにふれているか」より、
佐々木正人、松野孝一郎、三嶋博之著『アフォーダンス』青土社(1997年) 所収、pp. 193 - 195
以上の議論を踏まえることで、「日本初期近代における勤勉革命」という速水融の仮説やその親玉仮説ともいえる、様々な経済決定論を、理論的に(実証的 に、ではない!)棄却することが可能となる。それは、 Max Weber のエートス論(ethos theory)を支持する理論的根拠ともなる。この件については、別稿に譲ることとする。
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