開発援助“帝国主義”(さらに少し追記)
あるコメントへのresから敷衍して記事化しておくことにする。
これまで、開発途上国への援助は、主に旧宗主国を主体として、アフリカなら西欧諸国、中南米ならアメリカ合衆国、アジアなら日本、という具合に分担化されてきた。
この動きは、第二次大戦終了後から延々と続いてきた。「延々と続いてきた」ということは、開発援助は大抵失敗していた、ということに等しい。なぜなら、「開発」援助がうまく行っているなら、途中で経済的に自立し、先進国からの援助なしで自立できているはずだからである。
■なぜ、先進国の開発援助は失敗しつづけたのか
それは我が記事で 指摘したように、援助行為が「ヘルプ」だったからである。「ヘルプ」であると、援助すればするほど依存関係が深まり、永久に自立できない羽目に陥る。私 が、「開発援助“帝国主義”」と呼ぶ所以である。そして、挙句の果てに、資金を始めとする貴重な資源は、途上国の特権エリートが私物化する結末となる。
■開発援助は「サポート」であることを実践した日本人
私のblogで、何度も触れ、紹介もしたが、「ヘルプ」ではなく、「サポート」としての援助を実践した日本人のドキュメントがある。
服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』中公新書増補版2009年、
(ルワンダ動乱への著者の小論を新たに加えた増補版)
服部氏は、「ルワンダ人は無能だ」という現地在住の西欧人士、開発問題担当の白人のレッテル張りを、まず疑ってかかり、自分で実際に検証し、そし て、意外にもルワンダ人に商才(ビジネス能力)があることを発見する。そして、基本的にルワンダの経済問題解決はルワンダ人がやるべきだし、それが可能で あることを確信する。そこからが、服部氏の真骨頂だが、それは、本書を読まれたい。見事な開発問題の古典になっている。amazonには私の書評や他にも 数件優れた書評が掲載されているので、参考されたし。なお、本書は、第26回(1972年)毎日出版文化賞を受賞している。
世銀副総裁を最後のキャリアとして引退していた氏が、1990年代末に、たまたまNHKラジオに出演されていた折、その肉声を聞いたことがある。実に温厚な、かつ、ユーモアを感じさせるお人柄であったことが話し振りからうかがえた。
もし、日本に「国家の品格」というものがあるなら、このように個々の現場、特に国際的な現場で、情熱的、知的に誠実な仕事をされている、具体的な一 人一人の日本人が周囲に醸成する信頼感こそが、「国家の品格」そのものであるはずだ。藤原某氏のuncoな言動など、かえって日本国家を品下げるもの以外 の何ものでもない。
品格ある国民とは善悪好悪を超えて、己と世界のあるがままの事実を、まずは尊重する態度を保持する国民である、と言えるならば、そのuncoな書が数百万部売れてしまうということは、“大日本国民”が、いかに幻でもいいから、癒されたがっているのか、という現実を満天下に晒していて無残であり、きつい言い方をすれば醜悪でさえある。
〔参照記事〕大正時代の可能性
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