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2008年4月22日 (火)

Republicanismは、共和主義か?

 まつもとさんから貴重なコメント戴いた。

 そこで、資料的なことを書いておこうと思う。

■「共和」の出典

現在 republic の訳語として用いられる共和という語も、昔も今も細かい内容においてはちがうけれども、大体枠は同じであって、これは中国の古典においてもかなり古くから 用いられて来たところで、周の国が乱れて後、共和という政治時代になっている。これは『史記』の「周本紀」に明記されているところである。
新村出『語源をさぐる』 旺文社文庫(1981年)、p.203

■訳語経緯

ところで、以上のように、レパブリックということばの伝来とともに歩みを進めてみると、われわれは、つぎのような結論にみちびかれるようだ。
 日本人がはじめて西欧のレパブリックについて知らされたとき、最初に理解できたことは、この政体には君主がいないということであり、その実態は漢訳「合衆国」であるということであった。ついで日本訳として「寄合持ノ国」「共和政治」「共治国」「会治国」等を与えてこれを理解することができた。最後に、明治の中江兆民は、「自治之国」(日本においては「君民同治」でもある)がレパブリックにふさわしい訳語であると提案したが、その提案は「共和国」という訳 語がすでに定着してしまったはるかのちであったため、ついに、一般に受容されるに到らなかった。
 しかし、歴史的・文化的・倫理的にすぐれているあの西洋を生みだした基盤が、そのまま、西洋特有の共和国を生みだした同じ基盤となっていることに気づいたとき、日本人は、共和思想を生みだした西洋の社会観や人間観にはげしい興味をしめすことになる。
齋藤毅『明治のことば - 文明開化と日本語 -』講談社学術文庫(2005年)、p.179

■日本人と「法の支配」

 上記、齋藤氏の本に、兆民の『東洋自由新聞』での「君民共治之説」という論説を一部引用している。そこに、

・・、故に荀も政権を以て全国人民の公有物と為し、一に有司に私せざるときは皆「レスピュブリカー」なり、皆な共和政治なり、君主の有無は問わざるなり。

とある。これは republic の二本柱の一つ、つまり、権力は公共物であり、その行使おいて私してはならない、は捉えられている。ただ、それでも近代国家において権力や支配というものは存在しかつ必要なものであり、たとえ republic 下であろうと、具体的に特定の「誰か」が代表者としてその権力を行使するのであるから、そういった自然人による権力行使という「事実」と、政治の公共性と いう「価値」の両立を可能とする装置として、もう一本の柱、「法の支配 rule of law」が絶対不可欠なのだ、という理解は、この兆民の文からは伺うことができない。無論、それは引用しておられる著者齋藤氏においても残念ながら同じ。

 日本人における「法の支配 rule of law」不感症は深刻というべき。明治クーデター以来140年間、近代主権国家というリヴァイアサンを「法の支配」なしで運転し続けてきた日本人は、F1 レースに無資格で走っているようなもので、そうであれば、1945年という国家クラッシュを経験したことも当たり前か、とも思われる。「合衆国の支配 rule of the USA 」から徐々に突き放されそうな現在、私が生きているうちに第二の国家クラッシュに遭遇する確率は高い。

 まつもとさんのコメント中の「民憲主義」という新訳は悪くないと思うのだが、結局、日本国憲法下で60年間エクササイズを重ねた今日おいても、「法の支 配 rule of law」というものが皮膚感覚で我々日本人に染み透ってないことを考えると、まずはこのことを繰り返し言うことのほうが先決であるように思うのだが、どう だろう。

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コメント

ヒルネスキーさん、コメントありがとございます。

>republic → 法前権後
>democracy → 民処政

なるほど。少し、漢文ちっくのような気が・・。
いずれ、いろいろ案を出しているうちに、しっくりくるものが見つかるのでしょう。ご提案ありがとうございます。

投稿: renqing | 2011年9月13日 (火) 12時53分

republic → 法前権後
democracy → 民処政

などと……

投稿: ヒルネスキー | 2011年9月12日 (月) 18時00分

Capitalism は、作家サッカレー(William Makepeace Thackeray)が、The Newcomes(1853 - 55年)で使用したことがOEDに記されています。-ismは、元来、動詞の接尾辞らしいので、そもそもこの使用法が語法に忠実ではなかったかもしれません。しかし、それでも中産インテリ出身のサッカレーが、そう表現せざるを得ない現実が19世紀中葉には、England にはあったということなのでしょう。ただそれでも、資本主義という語より、ビジネス社会 business society と表現したほうがいいかな、とは思っていますが。

投稿: renqing | 2008年4月25日 (金) 12時38分

なるほど。資本主義とか功利主義のことも考えると、さらに、

資本勢・資本態
功利勢・功利態
民主勢・民主態

などと付けたくなりますが、これはちょっと訳し過ぎですね。

投稿: まつもと | 2008年4月24日 (木) 06時50分

まつもとさん、どうも。

>細かい話ですが、-ismについて、さらに「~制」「~政」というチョイスがあり得ると思いますが、renqingさんはどちらを取られますか。

「~制」より、「~政」が望ましいと考えます。「~制」というと、
制度を連想し、どうしても実体化しやすくなると危惧するので。


>共和政=古典的リパブリカニズム、あるいは中国語の原義どおり君主がいない政体
>民憲政=市民的リパブリカニズム、「法の支配」による政体
>民主政=人民主権の政体

なかなかよいのではないでしょうか。孔子の「正名」論ではないですが、
「名」にミス・リーディングされているケースもありそうですから。

投稿: renqing | 2008年4月24日 (木) 03時02分

ご返事ありがとうございます。細かい話ですが、-ismについて、さらに「〜制」「〜政」というチョイスがあり得ると思いますが、renqingさんはどちらを取られますか。

あと、英語でもリパブリカニズムの定義が2通りに分かれているのと、日本での受容のされ方から考えて

共和政=古典的リパブリカニズム、あるいは中国語の原義どおり君主がいない政体

民憲政=市民的リパブリカニズム、「法の支配」による政体

民主政=人民主権の政体

古い語を残してと区別し直しておくのも一法でしょう。

投稿: まつもと | 2008年4月23日 (水) 15時49分

まつもとさん、どうも。

>私の発想の過程は、次のような航跡をたどっています。
>・・・・

まつもとさんのご意見の文脈は了解。
だとすると、私のコメントは、
まつもとさんのアイデアに乗って、

「民憲政」

を、republic の訳語として打ち出す、
というものです。

世界中どこでも同じでしょうが、「-主義 -ism 」
という接尾語は、どーも新旧左翼の手垢にまみれて
しまい、語感があまりよろしくない。

democracy は、‘民主主義’ではなくせめて「民主政」ないし
「民主制」であるべきだと思っていまして、その流れでいうと、
普及の戦略として

republic=民憲政

を普及させる、というのがいいかな、と。


>あと、ご紹介いただいた新村の解説に従えば、「共和」とはほんらい、要は「本来リーダーシップを取るべき皇帝がいないので、複数の談合で行なっている政治」という消極的・否定的な意味合いをもつ言葉なのではないでしょうか。

そうだと思います。天から命をうけた、天の代理人 agency としての
王が不在というのは、伝統中国では異常事態と言わざるを得ません。
天が臨在しなければ、世は乱れるに決まっていますから。したがって、
negative な文脈での表現だと思います。


>さらにいえば、democracyの訳語も、より限定的に
>・・・

これについては、先ほど触れましたように、
-主義ではないほうがよいと考えます。
すると、「民政政」では妙なので、「民治政」
ということになりますね。
これ、なかなかよい訳語のような気がします。

republic → 民憲政
democracy → 民治政

です。

投稿: renqing | 2008年4月23日 (水) 13時13分

さらにいえば、democracyの訳語も、より限定的に

民政主義
民治主義

のほうがいいのかもしれません。あるいは人民主権に限定した意味での民主主義の下に、執行権について民治主義、立法権について民憲主義、という分類にするとか。

投稿: まつもと | 2008年4月22日 (火) 23時28分

あと、ご紹介いただいた新村の解説に従えば、「共和」とはほんらい、要は「本来リーダーシップを取るべき皇帝がいないので、複数の談合で行なっている政治」という消極的・否定的な意味合いをもつ言葉なのではないでしょうか。

投稿: まつもと | 2008年4月22日 (火) 15時56分

詳細な解説をありがとうございました。

> 「民憲主義」という新訳は悪くないと思うのだが、結局、日本国憲法下で60年間エクササイズを重ねた今日おいても、「法の支配 rule of law」というものが皮膚感覚で我々日本人に染み透ってないことを考えると、まずはこのことを繰り返し言うことのほうが先決であるように思う

これに異論はないです。ただどうやってそれを言うのか?という点で、やはり新しくより適切なことばの創造は避けて通れないと思うのです。思想が強力であるときは、それを適確に要約する強力なキャッチフレーズが伴うわけで。

私の発想の過程は、次のような航跡をたどっています。

共和主義→つまり「法の支配」主義ってわけね→分かりにくいし、長い。なんか他にないかな?→法治主義じゃ別物だし→共和国=民国だな、主体を指し示す意味で「民」は入った方がいい→民権主義?民治主義?→しかし問題は統治じゃなくてそれをコントロールする法だろ→民法主義?→既存の語と紛らわしいし、法=下位法と思われちゃなあ→あ、民憲主義

あと、説明のしかたとして「いや共和主義というのは悪訳で、民憲主義の方が適切なんだ。なぜなら「法の支配」という思想が背景にあって・・・」という方が私としてはやりやすいですし、

民憲主義
民主主義

と並べることで、「似たことばだけどどう違うの?」というところから、議論はかえって始めやすいのでは、と考えています。

投稿: まつもと | 2008年4月22日 (火) 15時22分

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