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2008年4月25日 (金)

エートスの進化( The evolution of ethos )(1)

 進化理論は、変異(mutation or crossing)と選択(natural selection)という二つの概念装置から構成されている。

 変異とは、ある種が何らかの要因で変ることであり、選択とはその種の持つ形質がその種が生きている局所的世界、つまり生活環境にうまくフィットしているため生き残る、という意味である。

 そして、この二つの事柄は全く独立したことだ、というのがダーウィン進化論の核心だ。その二つの組み合わせで進化という現象、つまり「1世代を超える時間的なスケジュールでの生物の(遺伝的な変化を伴う)形質の時間的変化」*が起こるのだとする。

 ある局所的環境で、ある特定の種の特定の個体が順調に生存できていたのに、遺伝的突然変異でその形質を次世代において変化させてしまうとする。その変化は、木村資生の分子進化の中立説のように環境への適合性において可でも不可でもないケースなら結構なのだが、もしその新しい形質の既存環境適合性が不利なら、その変異した次世代の種は環境から消えてしまう。これは環境から提示される選択条件は変化しないのに、種のほうが勝手に変化してしまったので絶滅する場合だ。その変異によって既存環境適合性が有利化するなら、その個体の子孫はその種の集団中でシェアを伸ばすだろう。

 逆に、ある局所的環境で、ある特定の種が順調に生存できていたのに、その局所的環境に変化が起きてしまう。すると、この場合、種の形質は変化していないのだから、この種の有する既存形質の新環境適合性は、不利、中立、有利、の三つの場合に分けられる。そしてそれぞれ、その種の集団中のシェアが、減少、変わらず、増大、となる。

 《進化》とは、種の有する形質の変化、というミクロの現象を指しているのではなく、個々の種の変異と環境からの選択の組み合わせで、世代交代をするたびにある環境の生物相において主役の種が入れ替わるというマクロ現象のことなのだ。

 さて、この知見からすると、Hayami school の「勤勉革命 Industrious Revolution」仮説は、どう評価できるだろうか。

 徳川初期から中期にかけて、農業技術が労働集約的変化を遂げたことをもって、「勤勉を植え付けた原動力は、自由な労働と市場経済の浸透にこそあった」とそれは主張する。しかし、《自由な労働と市場経済の浸透》は勤勉エートスの生存確率を高める環境が出現したことを意味するだけであって、肝心の勤勉エートスそのものがいずこからやってきたのか、そして他の競合的エートスと関係でどのように環境から選択されたのかは全く不問に付されたままなのである。

 エートスの踊る舞台装置はあるのだが、踊り手としてのエートスはどこからやってきたのか。これが次なる我々の課題となる。

*岩波理化学辞典 第5版、1998年、「進化」の項、参照。

※ 次回へ続く。
エートスの進化( The evolution of ethos )(2)

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