日本文藝の歴史的特質
「結語 日本文藝の歴史的特質について言うべきことは、少なくないであろうが、いまは、ひとつの愚感をしるすに止めたい。それは、分裂とか対立とかいった性格が、あまり濃厚でないことである。精神と自然との分裂はもともと日本には無く、シナ文化の影響によって分裂現象を生じたのちでも、外国におけるような両極性が明瞭ではない。それはまた、貴族文化と庶民文化とが、はっきりとした対立を示さない事実とも、関係づけて考えられよう。貴族的←庶民的という上昇現象は、猿楽においてその典型的な例が見られ、今様歌謡や連歌などにも、類似の事例がある。しかし、同時に、貴族的→庶民的という下向現象も見のがしてはならぬ。貴族化した藝術が、その貴族性ゆえに、かえって民衆に歓び迎えられるという面も、あきらかに存在するのである。貴族と共に貴族的な能楽を賞翫する庶民もあれば、繁瑣きわまる連歌法式を習得することに価値を感ずる町人もあった。そこには、貴族文化と庶民文化とのかなり親近な交流関係が認められるのであって、どうも「おれたちの階級の文化」を主張するような態度は見受けられない。かように分裂性や対立性の希薄なことが、日本の文藝にとって、是であるか非であるかは、断定いたしかねる。本格的な近代化がなかなか進まない原因の
ひとつは、その辺に在るのかもしれぬ。しかし、批判はいかようにもあれ、そうした事実自身は、あくまで厳然たる事実だと思うのである。」
小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫(1993年)、pp.204-205
日本人が、明治constitutionにおいて、非西欧圏での、近代主権国家の創出・運用という、人類史的プロジェクトに失敗した根本的理由がここにもあるような気がする。
【注】2008.05.28. 中国人の思惟の特徴が classification にあり、日本人の思惟のそれが gradation にあることの指摘は、下記記事を参照。
惟天地万物父母、惟人万物之霊
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コメント
まつもとさん、どうも。
極めて面白い本ですが、私に一つ不満があるとすれば、享保以降の徳川 pop culture に点が辛いことですかね。
確かにそうはそうなんだが、別の評価軸もありうるかな、と感じます。ここでの著者の感性は、家永三郎『日本文化史』と本質的に変りません。貴族的な high culture からの視点です。当面は、石川淳「江戸人の発想法について」や高田衛『八犬伝の世界』のアプローチに肩を持ちたいですね。
投稿: renqing | 2008年5月28日 (水) 11時31分
お、読みましたね。
こういう「贔屓の引き倒し」じゃない日本文学史の本は貴重だと思います。おそらく、著者に漢籍の教養があり、「日本文学」のなかでとかく周辺に置かれがちな連句作者でもあったことが、こうした視点につながっているのではないかと思います。宮崎市定が語る日本史に通じるものを感じます。
投稿: まつもと | 2008年5月28日 (水) 10時38分