A Historical Survey of Knowledge Theory
以前の記事で「知識 knowledge」について書いた。その極めてコンパクトな理論史的概観は、下記で得られる。
野中郁次郎、竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社(1996)
Ikujiro Nonaka,Hirotaka Takeuchi,The Knowledge-Creating Company,Oxford Univ Pr(1995)
第二章 知識と経営(2. Knowledge and Management)
西洋哲学史や思想史に関心や知識のある方には、その記述の粗っぽさに不満が残るだろうが、たまには経営学書なるものをのぞき見ることも無駄ではあるまい。 また、西洋、及び日本の知識理論(認識論)をたかだか16ページでダイジェストするなどという冒険は、その道の専門家においてはかえって容易になされないだろう。そ の意味で、異分野の著者たちの勇気を玩味しない手はない。ある種、文句を言いつつの頭の整理には都合がよいといえる。
ここにおける著者たちへの私の不満は、先の記事で引用した、ドラッカーによるテイラーの知識理論史における特異性の指摘に、あまり注意を払っていないように見受けられる点だ。
約1万年の人類文明史において、洋の東西を問わず、「考える人」は、「手を汚し、額に汗して働く人」とは全く別の種類の人間であり、哲学史や思想史の記述を華やかに飾る有名著名な多くの思想家、哲学者たちは、「働かねば食べられない人」とは明らかに異なっていた。西洋において、「知識」の創造、伝達、 需要に関わった人々は、貴族やその周辺に生きていた人々だったし、東洋の大文明国である中国においても、孔子や朱子などの肖像画をみれば、それが「手を汚し、額に汗して働く」ことに向くような衣服でないことは一目で明らかだ。
テイラーが特異なのは、例えば、「スコップの動かし方」などということに、「考え」る対象として真面目に取り組み、それを言語化したことである。デカルトは軍人やお姫様の家庭教師の「仕事」はしたろうが、農民の「仕事」である鋤や鍬の動かし方や農作業用の馬の轡(くつわ)の形状については「方法的」に考察したことは無かったろう。マルクス は「労働なるもの」という抽象的概念には一生懸命に脳漿を絞ったろうが、紡績工場の女工における切れた糸のつなぎ方、などといった工場労働者の具体的「仕事」に一片の知的関心を持たなかっただろうことは断言してもよいと思う。彼が考え続けていた場所は書斎と図書館であり、考え続けていた知的対象もそこにあった。
テイラー以前にも当然、「仕事」の具体的改善や工夫を「考えた」人々は沢山いる。18世紀から19世紀にかけて西欧において、他を圧して工業生産性が増大したのはそのためだ。ただ、その連続的イノベーションを担っていたのは職人や親方であり、それまでに蓄積されてきた技能的知識を器械や機械に翻訳して技術的知識として活用した。彼らは少なくとも 「教養と財産」のある人々ではない。
テイラーが前代未聞なのは、「教養と財産」のある人々の一員である彼が、その知識と頭脳を「教養と財産」のない人々が担う肉体的「仕事」に、適用したことにあった。なにしろ「教養と財産」がある人々の仕事とは、弁護士であり、大学教師であり、また政治家や神父・牧師であり、国策会社である東インド会社の社員とか、銀行家やせいぜい工場経営者であった時代なのだ。そうでなければ、地主や貴族という「身分」であった。
西洋において劇的に労働生産性が上昇し、社会の「手を汚し、額に汗して働く人」にもその冨の余滴が行き渡りだしたのは、西洋の知識の歴史における伝統的境界線を、テイラー(に代表される人々)が侵犯したことが始まりなのである。ここに、人類史における、産業化社会ないし Business Society がその全貌を現し始めたともいえるだろう。
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