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2008年6月

2008年6月23日 (月)

幕末の危機意識は誰のものか?

 「明治維新」イデオロギーを強く彩る「危機」意識。これは対外的な意識だけではなく、徳川社会そのものへの危機意識でもある。つまり、内と外の「危機」への認識である。

 例えば、開国を巡る「危機」を論じるのは、丸山真男「国民主義」論であり、橋川文三「ナショナリズム」論であった。

 近年の代表的論者は安丸良夫であり、彼の、『神々の明治維新』(1979)・Ⅰや、『近代天皇像の形成』(1992)・第四章「危機意識の構造」、などで、平田篤胤の国学や会沢正志斎の『新論』に注目し、説得的に論じている。

 そこで、平田や会沢の危機意識はよくわかるのだが、ではそれに共鳴したのは一体どのような人間集団だったのか、ということが、一つ引っかかる。

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2008年6月20日 (金)

なぜプロテスタンティズムは異端として殲滅されずに済んだか

 ヨーロッパにおける宗教改革については、以前にも触れたことがある。

立憲主義と宗教改革(1)

立憲主義と宗教改革(2)

 ただそれは、宗教改革のもたらした思想史的影響を、関曠野のガイドラインに沿って簡略にまとめただけで、史実としての宗教改革がいったいなんであったのか、ということにはほとんど触れていない。今回改めて、歴史学の対象としての宗教改革の全体像を知りたくて、下記の書をひも解いてみた。

小泉 徹『宗教改革とその時代』山川出版社(1996)
(世界史リブレット27)

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2008年6月17日 (火)

安丸良夫『神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈- 』岩波新書(1979) (ver.2)

 著者は令名の高い思想史家である。特に、近世から近代にかけて、西暦で言えば、1800年代の日本についての考察で、ベーシックな業績を幾つも出している。

 本書は、その優れた書き手によって、いわゆる「廃仏毀釈」として高校日本史で教えられてきたものが、文明開化における単なるエピソードではなく、日本人の心性に甚大な痕跡を残したものであることを、史実に沿って叙述したものだ。「廃仏毀釈」についてその全体像をコンパクトにまとめたものは、本書が初めてだったように思うし、現在でもおそらく新書レベルでは唯一ではないか。「その時、いったい何がおきていたのか」を知るには、とりあえず、本書で十分だろう。また、明治維新、すなわち近代日本を再考するために、読んでおかねばならない一冊と言ってもよい。

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2008年6月14日 (土)

日本思想の通史として(ver.2)

 己が普段の生活の中で志向し、無意識に呼吸して脳細胞を満たしている思想というものを見直すことは難しい。しかし、時折そういう精神のオーバーホールをする必要は誰にでもあろう。そんなときは、歴史に徴してみるに若(し)くはない。それも長いスパンで概観を与えてくれるものがありがたい。

 ただし、一気に読めるものがいい。どれほど詳細でも、単なる事実の羅列は、読み手を歴史の迷宮へと向かわせるだけだ。それならばいっそ、枝葉を捨てて、本質に直入せざるを得ない類の物理的軽さのほうが好ましい。なにしろ読むこと自体が目的ではなく、己の頭脳の分解掃除用の道具として、使わせてもらうのが狙いだから。その意味からすれば、しっかりとした著者独自の図式(シェーマ)のあるほうが実は役に立つ。

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2008年6月12日 (木)

祝700回!

 ま、どうでもよいと言えばどうでもよいのだが、前回の記事で、700回目となっていた。我ながら、いろいろと書き散らしたものだ、と思う。もう少し焦点の合ったものを書くように心がけようと思ってはいるのだが・・・。

 読んで戴いている方々、 Business Society を知的に生きようとする輩(ともがら)として感謝致します。

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A Historical Survey of Knowledge Theory

 以前の記事で「知識 knowledge」について書いた。その極めてコンパクトな理論史的概観は、下記で得られる。

野中郁次郎、竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社(1996)
Ikujiro Nonaka,Hirotaka Takeuchi,The Knowledge-Creating Company,Oxford Univ Pr(1995)
第二章 知識と経営(2. Knowledge and Management)

 西洋哲学史や思想史に関心や知識のある方には、その記述の粗っぽさに不満が残るだろうが、たまには経営学書なるものをのぞき見ることも無駄ではあるまい。 また、西洋、及び日本の知識理論(認識論)をたかだか16ページでダイジェストするなどという冒険は、その道の専門家においてはかえって容易になされないだろう。そ の意味で、異分野の著者たちの勇気を玩味しない手はない。ある種、文句を言いつつの頭の整理には都合がよいといえる。

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2008年6月 7日 (土)

justified true belief

 表題は、「知識 knowledge」のよく使われる定義である。プラトンから連綿と続く西欧哲学の共通項として最も簡潔なものだ。それを前提することで、下の文の指摘がどれほど画期的ものであるかがよく分かる。

「「知識」の仕事への適用
 「ダーウィン、マルクス、フロイト」と言えば、「近代社会をつくった人間」としてよく引き合いに出される三人組である。しかし世界に公正さというものがあるならば、マルクスの代わりにテイラーが入れられるべきである。
 とはいえ、テイラーが正当な評価を受けなかったことは、小さな問題にすぎない。
 深刻な問題は、最近100年間における生産性の爆発的な向上をもたらし、先進国経済を生み出したものは、「知識」の仕事への適用だったという事実を、ほとんどわずかの人間しか認識していないところにある。」
 P.F.ドラッカー『ポスト資本主義社会』ダイアモンド社(1993)、pp.82-83

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2008年6月 5日 (木)

「法の支配 rule of law 」考

 「法の支配 rule of law 」とは、

「統治される者だけでなく統治する者も、(統治者が定めた〈法律〉ではなく)統治者と被統治者の上にある〈法〉に従うべきであるという観念」*

であり、歴史的には

「〈法律〉から区別される〈法〉は、自律的諸権力から成る政治社会を法共同体として存立させた法、自律的諸権力がそれぞれ自己の実力によって実現する権利の総和としての伝統的な法にほかならなかった。」*

 以上を、一般論ではなく具体的な歴史的文脈、特にイングランドの史的文脈で語ると以下のようになる。

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2008年6月 4日 (水)

セコイアはいかにして水を100m以上持ち上げるか?(2.1)

 先の記事関連で、ネットで追加調査をすると、流体力学の専門家の論文がPDFで2編ほど見つかった。下記↓。

1)細川巌「植物の吸水作用の物理」

2)日野幹雄「植物の気孔蒸散の流体力学」

 物理学者の手腕でこの問題にアプローチすると、前回記事の教科書的説明がいかにも緻密さに欠ける議論であることを悟るに至った。特に、1)での、

「 しかし、この負圧がそのまま水を運ぶ幹の導管にまで続いているのかというと、問題がある。先日、農工大の植物学の先生にお話を聞いたのであるが、導管は生きた細胞と違って、細胞内にあるような溶質を含まず、普通の水の運送だけが行われているということである。これを聞いた途端、私の既成観念はかなり変わった。水が細胞と導管の接続部を通るときには、上記と逆の現象が起き、正圧がそこに発生することになる。そうすると、維持されていた水の負圧はそこで帳消しになるか甚だしく減殺され、上向きに昇っていくことなどは期待できなくなる。」上記、PDF、p.2

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2008年6月 1日 (日)

セコイアはいかにして水を100m以上持ち上げるか?

「 道管の中につまっている水は、結束力が強く、上から強い力で引き上げられても、決して水柱が切れる(気泡が入る)ようなことはない。そしてまた、蒸発によって水を吸い上げる力は、われわれの想像をはるかに越えるものであり、この蒸発を防ごうと思えば、数百気圧の力が必要である。逆にいえば、数百気圧の圧力で押し上げるのと同じ力で、水は吸い上げられる。だから、五〇メートルや一〇〇メートルの木といえども、水は難なく吸い上げられるのである。」
 瀧本敦『ヒマワリはなぜ東を向くか』中公新書(1986年)、p.111
 1998年3月15日付21版

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