« 安丸良夫『神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈- 』岩波新書(1979) (ver.2) | トップページ | 幕末の危機意識は誰のものか? »

2008年6月20日 (金)

なぜプロテスタンティズムは異端として殲滅されずに済んだか

 ヨーロッパにおける宗教改革については、以前にも触れたことがある。

立憲主義と宗教改革(1)

立憲主義と宗教改革(2)

 ただそれは、宗教改革のもたらした思想史的影響を、関曠野のガイドラインに沿って簡略にまとめただけで、史実としての宗教改革がいったいなんであったのか、ということにはほとんど触れていない。今回改めて、歴史学の対象としての宗教改革の全体像を知りたくて、下記の書をひも解いてみた。

小泉 徹『宗教改革とその時代』山川出版社(1996)
(世界史リブレット27)

 本書は良書である。山川出版社の「世界史リブレット」の一冊として出されているので、行間がたっぷり空いていて、90頁と読みやすく軽量である。そのうえ、内容も非常にうまくまとまっている。宗教改革の概要を知るには好個の一冊だ。

 従来、Max Weber とか大塚史学の影響で、プロテスタンティズムにへんに肩入れした歴史像が中学校教科書レベルまで常套化していた。その点、本書では、著者がカトリック修道会系の大学勤務の故か、重心をカトリックのほうへ若干かけて記述しているため、戦後プロテスタンティズム史学(?)への解毒剤、ないしイデオロギー批判にもなっ ていて、とてもバランスの取れた「宗教改革」像を提示することに成功している。

 著者は本書の目的を六項目掲げている(p.4)。

1)宗教改革を十六、七世紀にわたる長期の運動としてとらえること
2)宗教改革の世俗的背景(国際的・国内的・経済的)を明らかにすること
3)宗教改革の思想的基盤を理解すること
4)宗教改革と文化のかかわりに注目すること
5)ドイツ以外、とりわけイギリスの宗教改革を重視するとともに、周辺地域における宗教改革にも眼を配ること
6)宗教改革を「進歩」「反動」という文脈から解放すること

 これらの狙いはほぼ達成されている、と言ってよい。私から見た本書のメリットは、1)16・17世紀のヨーロッパにおける国際政治の力学の中に宗教改革を置いている、2)イギリス国教会とカルヴィニズムの関連、3)プロテスタンティズムの出発がカトリック中の異端であったにも関わらず、様々な歴史的経緯から、特に、近代主権国家との二人三脚による対ローマ教会共闘をバネにして、キリスト教内の sect として生き残り、生き残ったが故に異端*の歴史的烙印を押されずに済んだこと、等をひとつの見解として得られたことである。

 特に最後の点は、Max Weber の特異な分析道具である「選択的親和関係 Wahlverwandtschaften (Elective Affinities) 」の例証となっていて、きわめて興味深い。またそれが、著者のウェーバー・テーゼへの冷たい評価(pp.85-6)を結果的に裏切っているようにも読める点が知的にスリリングだ。

 デメリットはほとんどないが、やはりウェーバー・テーゼへの理解に若干紋切り型という難点が見られることか。Weber のホンネから言えば、著者の批判は当たっているのだが、一方で、 Weber の学問上のタテマエ的立論はそういった批判を跳ね返すだけの剛構造も有している。そこまで承知の上での批判ならより有効だと思う。それでも、日本のウェーバリアンにまま見られる学問的偽装を施した狭隘さを相対化する効能はある。また、かつての南アフリカのアパルトヘイトとカルヴィニズムの関連の指摘などは有益。これも私の長年の疑念の一つだったので助かった。己の勉強不足に過ぎないのではあるが。

 どこぞの書評に、イギリス史に偏っているという unco なものがあったが、著者自身の目的にそれが明記されているのだから低脳な批判と言えるし、ヨーロッパ大陸の、海を隔てた対岸にあった島国にプロテスタンティズムの一つの足場があったことが、異端抹殺の運命を免れさせたポイントでもあるわけだから、著者の意図には合理性があると言える。書評はもう少し頭を使って書いてもらいたいものだ。自戒としよう。

 コスト・パフォーマンスの高い一書である。推奨。

小泉 徹『宗教改革とその時代』山川出版社(1996)
(世界史リブレット27)

目次

宗教改革への視点

①宗教改革と国際政治

②宗教改革の思想的基盤

③宗教改革と主権国家

④宗教改革と民衆文化

⑤周辺地域での宗教改革

⑥カトリック宗教改革

⑦宗教改革の再評価

*【注】ナザレのイエスの教団が、単なるユダヤ教異端セクトとして、歴史から抹消されずに、結果的に人類史的影響を与えたことも、同じ歴史的メカニズムが働いた帰結とも言える。

(2)へ続く

|

« 安丸良夫『神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈- 』岩波新書(1979) (ver.2) | トップページ | 幕末の危機意識は誰のものか? »

Max Weber」カテゴリの記事

徳川史」カテゴリの記事

書評・紹介」カテゴリの記事

西洋」カテゴリの記事

コメント

Yazdegerdさん、ご教示ありがとうございます。

何らかの宗教的・思想的信条を持つ人間集団が歴史の中でidentityを保つに至ったとき、それが信条集団(Sekteゼクテ)であるために、その信条内容の性質(≒教義)の特異性に注目が集まります。しかし、人間集団を維持可能とする要因はそのメンバーの信条(心情)倫理だけであるはずもなく、当然、それを取り囲む政治的、経済的側面も考慮するべきだ、ということなのでしょう。ホーエンツォレルン家当主自らが改宗したのも、イングランド王ヘンリー8世が離婚問題を口実に、ローマ教皇の支配から逃れ、カトリック修道院解散を強行し膨大な資産を王室財政に組み入れたと同じ事情が働いているかも知れません。

なお、平凡社大百科事典(1998年)のプロイセンの項に成瀬 治氏筆による以下の記述がありました。「[プロイセン公国] 1511年ドイツ騎士修道会総長にホーエンツォレルン家のアルブレヒトAlbrecht が選ばれると,彼は25年ルター主義に改宗,騎士修道会領を世俗化して,これをポーランド王から封土として授与され,ここにプロイセン公国 Herzogtum Preussen が成立した。アルブレヒトは行政・財政を改革し,教会秩序を整え,ケーニヒスベルク大学を創立(1544)するなど,模範的な領邦君主であった。」

ルターの「万人祭司」と王陽明の「満街聖人」の比較は興味深いです。ただ、前者は、教会権力に干渉されることなく信徒自らが聖書から自分が真実と考える信仰を引き出し生きる義務と能力を持つことで、後者は、街を行き交う普通の人々がそのままで、修養の有無と無関係に聖人性を持つ、ということですから、うまく言えないのですが、前者は「万人」に、後者は「聖人」にアクセントがあるように感じます。

投稿: renqing | 2015年5月 4日 (月) 20時10分

御指摘の無い点で、私が時々考えるのは以下ですので、紹介しておきます。証明はされていないようです。

プロイセン国王アウグストがルーテルに帰依して門人となって以降、プロイセンの国教がルーテル派になったことはプロテスタントが足場を築けた要因の一つではないかということです。ドイツ騎士団がポーランドに敗れ去ってからポーランド国王の身内としてなんとか命脈を保っていたホーヘンツォレルン家がカトリックのポーランドから自立する為の方途としての意味もあったかもしれない。
 それでプロイセンではカトリックの出家僧侶(独逸では家門を継げない貴族の次男三男以降の受皿と化してはいた)ではなくして在家の宗教家であある牧師が軍人を兼ねた貴族層の末端として「軍人精神」を担っていった。ルーテル派の「万人祭司」の教義(陽明学(陸門派朱子学)の「万人君子」とそうなれる可能性という意味で似る)がそれを可能としている。
 それを他の諸王侯も真似て、北欧にも広がった。カトリックには宗派によっては在地の儀礼を取り入得る傾向があるとしても、ゲルマン人や北欧人にはなんとなく肌が合わんということもあったようです。
それが三十年戦争やウェストファリア条約へと続いている。

投稿: Yazdegerd | 2015年5月 4日 (月) 14時39分

猫屋さん、どもども。

「勤勉と「金」がプロテスタンティズムで結びついた」

うーん、例えば、「予定説」みたいなものは、勤勉と必ずしも結びつくわけではないでしょうし、金という点でも、南ドイツ豪商フッガーなどの大商人は、カトリック教徒でした。「腐敗」の問題にしても、金にまみれていたのはご指摘のようにカトリックでしたし、それを批判して改革に向かったのは、カトリック内にも体制内宗教改革をすすめる、イエズス会のような勢力もあり、それらによってカトリックの近代化も推進されています。ブリテン島におけるカルヴァン派の牙城はスコットランドですが、かつても貧しい地域でしたし、現代でもかなりの田舎です。華々しい商工地区とは言い難い。

「プロテスタントの精神が伝播したのも工商ルート」

伝播そのものが、人や書籍を媒体としますから、すると必然的に、流通や貿易のチャンネルということになりそうです。

可能性はいろいろありますが、少数の異端として出発したプロテスタンティズムが、survivalできたのは、ethos や mentality といった内部要因よりは、もう少し生々しい政治的、権力闘争的な、より外在的要因のサポートによる、という著者の総括を、とりあえず私は支持します。

ただし、protestantism が生き残ったあと、近代資本主義に対して、Roman Catholic より適合的だった可能性は否定できません。

無論、それを主張するためには、近代資本主義の起源を protestantism 以外に求めなければなりませんが、それは可能だと思います。

投稿: renqing | 2008年6月30日 (月) 01時37分

ども、ども。
つか、ネックは勤勉と「金」がプロテスタンティズムで結びついた(反カトリックとしてのユダヤ思想影響もあります)。プロテスタントの精神が伝播したのも工商ルートだったと思うんです。つぃでですが、いまだにカトリック家庭では公けな「金」の話題はタブーでがす。

投稿: 猫屋 | 2008年6月28日 (土) 06時45分

猫屋さん、どーも。

「中世から展開していた通商多地域交流」の中心的担い手は、王から勅許を得て貿易を牛耳っていた東インド会社や、勤勉などというものを引かれものの小唄ぐらいにしか考えない冒険商人(海賊)たちで、こういった「日々の己の務め」に専心しない類は、プロテスタンティズムの精神と最も離反するものだと思いますけど。ただし、18世紀になって、資本主義が工場制度を生み出すときに必要となった巨大な固定資本(=富)は、結果的にこれらの対外貿易にによる巨額の資産がものをいいました。Max Weber のひい爺さんがまさにそれです。

投稿: renqing | 2008年6月25日 (水) 13時31分

冗談としてのコメントです。
なぜプロテスタントは、、?
答え:カトリック教会がとことん腐敗してた。
中世から展開していた通商多地域交流(グロバリズム)時代において、プロテスタンティズム・スピリットは通商によりマッチしていた。ではだめ?

投稿: 猫屋 | 2008年6月24日 (火) 13時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104369/41586389

この記事へのトラックバック一覧です: なぜプロテスタンティズムは異端として殲滅されずに済んだか:

« 安丸良夫『神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈- 』岩波新書(1979) (ver.2) | トップページ | 幕末の危機意識は誰のものか? »