幕末の危機意識は誰のものか?
「明治維新」イデオロギーを強く彩る「危機」意識。これは対外的な意識だけではなく、徳川社会そのものへの危機意識でもある。つまり、内と外の「危機」への認識である。
例えば、開国を巡る「危機」を論じるのは、丸山真男「国民主義」論であり、橋川文三「ナショナリズム
」論であった。
近年の代表的論者は安丸良夫であり、彼の、『神々の明治維新』(1979)・Ⅰや、『近代天皇像の形成』(1992)・第四章「危機意識の構造」、などで、平田篤胤の国学や会沢正志斎の『新論』に注目し、説得的に論じている。
そこで、平田や会沢の危機意識はよくわかるのだが、ではそれに共鳴したのは一体どのような人間集団だったのか、ということが、一つ引っかかる。
なぜなら、近年続けてその著作が注目されている、渡辺京二の『逝きし世の面影』、『江戸という幻景
』に見られる、徳川末期や明治初期の庶民の暢気さを見ると、どこにそんな危機意識があるのか、不思議でならないからである。
かつてよく言われたことに、徳川後半の農民層の分解というものがある。徳川社会の経済化によって、それに適応できた者と出来なかった者の違いが、自作農の小作への没落などをもたらし、村落における冨の格差を生み出した、という議論である。こういった議論を引き継いで、安丸は幕末維新期の村が荒廃していたことを挙げ、そこに秩序化イデオロギーとして、報徳運動などの“心の哲学”運動などが村レベルで受容されたことを指摘する。しかし、速水グループにおける近世日本経済史研究の帰結は、貧しい農村地帯ではかえって農閑余業としての手工業もあり、極端な貧困化や明確な農民層分解は見られていない、というものである。
とすると、貧困化や経済的没落に対する恐怖から、農村地帯において庄屋層や村役人層に危機意識が充満していたとすることは、まだ十分に論証された事実とは言えない。となれば、いったい誰の危機意識なのか。
ここからは私の仮説だが、ある社会層の分解は分解だが、それは、武士階層の分解だったのではないだろうか。徳川社会の危機は、実は被支配者である農民たちの危機というよりは、統治者集団であった武士層の分解による危機だったと想定するならば、会沢の危機意識が武士層、特に中下層の武士たちに浸透したことも頷ける。また、下層の武士たちのその底辺部分はほとんど庶民層と変わらぬ生活環境であり、通婚等による人的周流や文化的同一化があったと思われるので、庄屋層や村役人層に影響力があったとされる平田派の草莽国学が、底辺武士層に浸潤してもおかしくはないだろう。現に、平田篤胤その人が、没落した武士層の子弟である。
問題は、武士層の分解が論証できるかにかかっているが、私が管見の限りでは、あまりこういった文献は見かけたことがない。いずれにしても、徳川日本晩期の藩経営は大抵危機的状況だったことは間違いないので、こまめに探せばなにかしら手がかりはあると思う。
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コメント
まつもとさん、どうも。
歴史人口学の分野で、武士層の人口学的分析は、一つありまして、四国の「藩」の事例研究では、上層武士の出生率が低く、相対的に下層武士の出生率が高いため、下層武士の出身者の上層移動が見られるというものでした。
下層武士が庶民と似た人口学的プロファイルをもっているのだとすると貧乏人の子沢山的だったことも考えられ、そうすると、他の身分階層への人口供給源になっていた可能性もあります。
「明治維新」が、主に下層武士によって担われたのだとすると、(当時あったかもしれない)下層武士特有の人口圧が、彼等の危機感や閉塞感を引き起こしていた可能性はあります。
投稿: renqing | 2008年6月24日 (火) 12時26分
これは資料をどう当たるとよいのかはよく分からない(藩や寺の記録になると思いますが)のですが、武士の通婚関係の統計的な推移を当たってみると何か出てこないでしょうか。例えば坂本龍馬の家が裏(文字通り屋敷の)では才谷屋だったように、武士層の分解が進めば町人・百姓との通婚が増えるかな、といった予測はできるかもしれません。
投稿: まつもと | 2008年6月23日 (月) 09時51分