下人価格論
中世末期(戦国末期)から、徳川前半にかけて、農業経営の小規模化、いわゆる小農自立化が進んだ、というのが日本経済史学の定説である。
特に、速水スクールでは、それが日本社会の「経済社会化」という大きな動きのひとつの位相という位置づけである。
さて、近年明らかにされつつある、戦国期の奴隷狩りの実態を勘案すると、ここに奴隷(=下人)価格論を付け加えてもよさそうだ、というのが私のアイデアである。
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中世末期(戦国末期)から、徳川前半にかけて、農業経営の小規模化、いわゆる小農自立化が進んだ、というのが日本経済史学の定説である。
特に、速水スクールでは、それが日本社会の「経済社会化」という大きな動きのひとつの位相という位置づけである。
さて、近年明らかにされつつある、戦国期の奴隷狩りの実態を勘案すると、ここに奴隷(=下人)価格論を付け加えてもよさそうだ、というのが私のアイデアである。
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PCが故障してしまい、修理から戻るまで、たまにしか更新できないと思います。アクセスして頂いている方々、ごめんなさい。
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思想史の研究には、大別して二つのアプローチ、ないし目的があるだろう。
一つは、「思想」史である。つまり、歴史的に実在したある特定の人間の思惟の過程、その帰結、達成、影響を、できる限り内在的、詳細に理解した上で、研究者の立場から現代的意義を考えること。
二つめは、思想「史」である。ある特定の時、場所に芽生えた、ある個人の思惟が、いかなる文脈(時代的、地理的、社会的)のもとで誕生し、そしていかなる文脈(時代的、地理的、社会的)のもとで人々に受け入れられ、流通し、変容していったのか、を可能な限り理解したうえで、その一連のプロセスが、研究者の生きる現代にとっていかなる歴史的意味を有しているのか、を考えること。
以上の二つである。そして、いささか唯物的(「唯物論」的ではない!)謂いにはなるが、前者を、「思想の生産者主権」アプローチ、後者を「思想の消費者主権」アプローチ、と名づけてみよう。
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下記の本が面白い。
本書は、近世日本の教育・社会史の専門家が、その三十年来のフィールドワークの歩みを総決算したもので、内容はすべて著者自身の調査・研究に基づくという。興味深く、新書ながら力作であると思う。
特に印象深かったことは五つある。
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赤ちゃんは、すべての大人から祝福されなければならない存在である。
なぜなら、赤ちゃんはその親を選べないし、遺伝形質や生まれてくる時代・場所も選べないからだ。
人はおそらく、自らが他者から祝福された存在だと信じられなくなったとき、己の生を絶つのだ。祝福する力の衰弱した社会、それが現代日本であろうか。
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先に、自殺に関する記事を二件書いた。
■他殺率
他殺率については、上記記事のコメントにも書いたように、
1)銃規制 gun control の成功or失敗
2)徴兵制による市民の銃取り扱いへの慣れや発砲経験の有無
とも相関するだろう。現在、他殺率の低い日本だが、1945年以前は、現代より確実に他殺率は高いと考えられる。上記2条件がないからである(生憎、他殺率の長期的推移を示す統計がネット上で見つからなかったのだが)。
■自殺率の長期的推移
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ついに、羽入辰郎氏の新著が出た模様。下記↓
羽入辰郎『学問とは何か―「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後』ミネルヴァ書房(2008年/7月)
ただ、今、人生多忙につき、この大著に飛びつく時間が不足気味なのと、それを上回るほど、この問題への関心が、現在、あまり高くないので、もし読まれた方などがあれば、コメントなど戴けると、幸甚です。
*参照
待つ身は辛い
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人間は、日々の暮らしの中で、さまざまな緊張や葛藤を感じ、心理的ストレスを溜め込んでいる。そして大抵は、その同じ日々の暮らしの中で、溜め込んだストレスを発散させる方法を自分なりに身に付け、ストレスで押し潰されないように生を営む。
しかし、溜め込めるストレスの閾値や、社会的ストレスが過剰で通常のストレス発散法では許容範囲に押し込めず、個人が耐え得るストレスの臨界点を越えてしまうときが来る。
そのとき、普段してはならないとされている規範の臨界点をも超える。それが死への衝動である。このとき、その衝動が自己に向かうか、他者に向かうか、という選択肢があり得るだろう。前者が自殺(自己殺人)であり、後者が殺人である。
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日本はいろいろな面で大国である。たとえば自殺において。
「昨年の自殺者3万777人 最多は50代後半」リビング‐シニアニュース:イザ!
交通事故死の多い年が1万人だから、その3倍。この数字がどう異常なのかは、他の社会と比較するとよく分かる。
この手のデータを見るのなら、まずこれ!、というサイトがある。多種多様な統計データを、さまざまな角度から加工し、提供してくれている素晴しいサイト、社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune、である。
そこに、いささかショッキングな図録がある。
このグラフをみながら(DLしてプリントアウトするとなお結構)、以下のようなことを試みられたい。
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様々な価格のなかに、あまり気がつきにくいが経済全体に大きく影響する価格がある。それは、賃金率(=単位時間あたりの労働報酬金額)と利子率である。ただ、賃金率は労働もしくは仕事の質的多様性と、企業内部における分配状態とに関連するため、極めて重要な価格ではあるが、ここでははずしておくことにする。
さて、利子率である。これはカネの貸し借りにおける価格だ。登場するのは、売り手、買い手ではなく、貸し手、借り手である。
日本国における最大の債務者はだれか。もちろん日本国政府である。平成20年3月末現在で、償還10年以内の長期国債の発行残高は、360兆円。平成20年度予算でも、国債発行額は、25兆円。この5年間でみれば、国債の毎年の平均発行額は、約30兆円。
すると、バブル期以降、経済の長期的低迷の中で、景気の下支えとして説明されてきた低金利政策の最大の受益者は、日本国政府そのものと言ってもよいだろう*。
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このところ、原油価格が暴騰している。*
こういったとき思い出すのが、我々が中学校・高校の社会科で習い覚えた「需要(曲線)と供給(曲線)の等しいところ(交点)で、市場価格と需給量が決定する」というおとぎ話である。
しかし、資本主義経済の中で、稼ぎ、喰い、あるいは、子どもを育てている我々にとって、肝心なことは、己の収入がどうなるか、だろう。だから、そういうことへの見通しを少しでももたらしてくれる「経済の学」でなければ、存在価値ゼロと言ってよい。その意味で、経済への基本的見方を誤らせるとしか表現の仕様のない、いわゆるミクロ経済学は、市井の民にとって無用の長物である。
経済を見る上で大事なことは、価格、それも相対価格が動いたとき、誰が得をして、誰が損をするのか、ということへの洞察だ。
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