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2008年7月 2日 (水)

相対価格と経済数量(1.1)

 このところ、原油価格が暴騰している。*

 こういったとき思い出すのが、我々が中学校・高校の社会科で習い覚えた「需要(曲線)と供給(曲線)の等しいところ(交点)で、市場価格と需給量が決定する」というおとぎ話である。

 しかし、資本主義経済の中で、稼ぎ、喰い、あるいは、子どもを育てている我々にとって、肝心なことは、己の収入がどうなるか、だろう。だから、そういうことへの見通しを少しでももたらしてくれる「経済の学」でなければ、存在価値ゼロと言ってよい。その意味で、経済への基本的見方を誤らせるとしか表現の仕様のない、いわゆるミクロ経済学は、市井の民にとって無用の長物である。

 経済を見る上で大事なことは、価格、それも相対価格が動いたとき、誰が得をして、誰が損をするのか、ということへの洞察だ。

 念のために言えば、ある商品の価格とその商品の相対価格は異なる概念である。

 例えば、定価1000円のA商品の価格が100円値上がりしたとする。それは価格変化であるが、これだけでは相対価格がどうなっているのか判定できない。つまり、A商品の価格が100円上昇したとき、(その商品だけの)価格変化率は10%だが、他のすべての商品もほぼ同時に10%上昇しているなら、相対価格変化率は0%である。すべての商品の全般的価格上昇は、いわゆるインフレーションであり、それは経済全体の規模(マクロ経済学でいう“所得”とか “産出量”のこと)、すなわち景気がよいのか、不況なのか、ということにからむ。それはそれで極めて重要だが、相対価格変化の問題とは一旦は別に考えなく てはならない。

 資本主義経済において、すべての財は価格付きの商品として取引され、通貨によって決済される。取引額は、売り手にとって収入であり、買い手にとって支出である。従って、どのような事情にしろ、その取引価格に変動が生じれば、それは売り手、買い手の損得に直結する。

 価格が上がれば、売り手の得、買い手の損。価格が下がれば、売り手の損、買い手の得。換言すれば、前者の場合は、買い手から売り手への所得移転。後者な ら、売り手から買い手への所得移転である。経済問題へのアプローチもこの極めて常識的なところから出発しなければならない。

 当然、原油価格の高騰は、原油輸入国から産油国への所得移転を、まず第一次的に意味する。マクロの日本経済にその影響が、ポジティブか、ネガティブか、といえば、強いネガティブ、すなわち、強烈なデフレ効果を持つと言える。

 スポット価格では、このところ、NY原油先物に140ドル/バレルという空前の値がついている。しかし、これはある瞬間の価格であり、原油のような相場 商品で、中期的に重要なのは平均価格である。月あたり平均の日本側の輸入CIF原油価格*は、統計の出ているところでは以下のようだ。

 19年04月   60.85 $/B
 20年04月  100.70

 これだけをみると、1年間で、65%の価格上昇である。ところがこれを円価格で見るとこうなる。

 19年04月  45,243 円/KL
 20年04月  63,746

 こちらも、1年間で41%上昇と急激な価格変化には間違いないが、ドル価格より少しなだらかになっている。

 これは円高(ドル安)のおかげである。

 19年04月  118.20 円/$
 20年04月  100.64

 この1年間で円ドルレートが15%上昇している(ドル価値の下落)。この僥倖が、原油ドル価格の暴騰による日本経済へのダメージを緩和していることになる。(続く)

*参照 原油価格の推移(変遷)

◎下記も参照。
相対価格と経済数量(2)

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