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2008年8月18日 (月)

社会契約モデルとしての「一揆」

 社会科学においては、その理論的ツールを、もっぱら西欧の知的伝統に負う。歴史的に育まれてきたさまざまな知的資源から、西欧人たちが、そのまま流用したり、再定義、再構成したりしてこの分野の議論を豊かにしてきた。「社会契約」などという概念はまさにそうだろう。

 日本の中世史家の勝俣鎮夫久留島典子、近世史家の尾藤正英などによれば、戦国大名から徳川まで、百姓には百姓の、武士たちには武士たちの、平和(つまり自力救済の禁止)を目指す団体が自生的に形成されていた。それが「一揆」である。

 結局、戦国時代という名の、自然状態に止めを刺した、豊臣や徳川のリヴァイアサンも単にその優越する武力でそれを達成できたわけではなく、列島を覆った「一揆」という社会契約に乗ることでそれが可能となったという訳である。

 久留島が指摘するように、近世武家社会の一特徴である、「主君押込の構造」(笠谷和比古)や、惣村自治の伝統もここから導き出せるのは、見やすい道理だろう。 

 18世紀末から19世紀前半の、開国から幕末にかけて列島を沸騰させた右往左往は、この伝来の社会契約モデルである「一揆」から、いかにして西欧主権国家群に対応可能な国家モデルを生み出せるか、という列島史における歴史的実験だったとも言えよう。

 結局、それは、明治コンスティテューションという、西欧型主権国家モデルでもなければ、在来型社会契約モデル「一揆」でもない、鵺のような代物を生み出し、あげく、制御に失敗し、1945年で一旦、それはこの地上から葬り去られた。

 さて、それでは現在の占領期コンスティテューションは、完全に西欧型主権国家モデルに衣替えできたのであろうか。それを確認するためにも、日本人の手で、在来型社会契約モデルとして、「一揆」を再構成、再定義することに、知的冒険の価値はあるように思う。

■参照

Anstalt と Verein

哲学者、翻訳家・中山元の書評ブログ : 『西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-』リチャ-ド・ウィリアム・サザン著(八坂書房)

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