日本における「公私」
以下、単なる備忘録程度。
「公私」の問題は、これまでにも、中国思想史家溝口雄三を始め、何人もの論者が触れてきた。東大出版会からも、シンポジウムの記録が出されていたりする。
ただ、それは「公」に関心の比重があり、どうも「私」は軽視されがちのような気がする。近代日本の「私」概念に影響を与えたのに、本居宣長も力があったのではないか、と思うのだが、論ぜられたあとがあまりない。「石上私淑言(いそのかみのささめごと)」(1763)、などを見れば、歴然としていると思うのだが。
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