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2008年9月13日 (土)

「華夷」ではなく「夷華」

 変なタイトルで恐縮。

 ここ20年来、東アジア史の国際関係は、「華夷」型秩序というものを思考枠組みとして考察されるようになっている。

 「華」とは、伝統中国の文明様式総体のこと。考え方だけでなく、より具体的な、科挙、儒家式の冠婚葬祭までを含んだトータルな様式のことである。 「~人」に関係なく、この文明様式を踏襲するものが「華」なわけだ。文明の規範モデルなのである。だから、この様式になじまないものは「夷」となる。

 しかし、この「華夷」観念、基本的に誰の眼差しかといえば、無論、「華」の立場からのものである。つまり、さまざまな「夷」に対して、「華」は事実的にも価値的にも、屹立する dominant な存在というものだろう。当然、この「華」なるものにとって、自己を相対化する契機としての「他者」というものの存在は原理的にあり得ない。複数の「夷」 はあるけれど、これらはまったくもって「華」を脅かさないわけだ。

 では、「華夷」観念を受け入れた「夷」の立場からの「華夷」観念とはいったいどんな代物なのだろうか。

 それは、文明として事実的にも価値的にも、己と懸絶する模範となるモデルが、自己の外側にあるということだ。

 「夷」にとり、「華」は常にどんな場合でも、dominant な存在であり、己の外にあるのだが、これ、実は他者とはいえない。なぜなら、それは模倣すべき模範であり、究極的には「夷」の存在の承認者だからである。 換言するならば、「華」にとり個々の「夷」は、depending on する対象であり得ないが、「夷」にとり「華」は、depending on の相手方なのだ。自己と異なるにも関わらず、一体化しているので、他者性の契機とはならない。

 そして、日本国家は近代に入りしばしば「華」を取り替えてきた。1868年以前は、「中華」であり、1868年以降は総体としての「西洋」であっ たり、「英」であったり、「独」「仏」であったりする。しかし、大きく見れば、日英同盟を通じてパクス・ブリタニカに依存していたわけだから、少なくと も、1902年(明治35)から1922年(大正11年)までは、大英帝国=「華」、であり、1945年(昭和20)以降は、アメリカ合衆国=「華」とい うことになろう。戦後の一時期、ソ連=「華」だったこともあった。

 そして、「中華」にしろ「アメリカ合衆国」にしろ、日本は相手方に対し、恐ろしく trivial な知識を持ちながら、その一方で、絶えず承認(一体化)欲求も持っている。したがって、「華」の行動を予測しようとすると常に間違えてしまう。なぜなら、 《行動の予測》と、《行動への期待》を心理的に弁別できないためである。こうして、戦後、日本国は、米合衆国に裏切られ続けているのだが、にも関わらず、 対米依存を脱却できないのは、日本側にこの《夷-華構造》があるからである。

〔参照〕2011/01/28追記
「普遍」を「特殊」に引きずりおろす方法

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