家近良樹 『幕末の朝廷』中央公論新社(2007年)
これまでの幕末・維新史のイメージ、なかでも孝明天皇像を一新する内容といってよい。また、政治機構としての朝廷や、朝幕関係を理解するための基本的知識を与えてくれる。同じ著者の『孝明天皇と「一桑会」』文春新書(2002年)
とともに、今後この時期を理解するための必読書だと思う。
本書の特徴を箇条書きにしてみよう。
1)素人ではアクセスが難しい宮内庁書陵部所蔵の多数のお公家さんの日記や、東京大学史料編纂所所蔵『大日本維新史史料 稿本』などを博捜し、それらを根本史料として利用している。そのため、読んでいてもその臨場感が伝わり説得力がある。
今後、著者以外にもこれらの第一次史料を活用して、近世日本における一つのリアル・ポリティクスの舞台としての宮廷政治の実態の解明が一層進むことが期待される。
2)主要な登場人物である、孝明天皇、関白鷹司政通らが、世界情勢への無知、あるいは頑迷固陋な頭脳のため、幕末の朝廷が攘夷の駄々をこねて、穏やかな開国を目指す幕府を困らせた、などと言うことが単なる神話に過ぎないことが了解される。
つまり、彼らは無知ではなかったし、合理的思考も十分なし得た人々だった。そういう意味で、外部勢力に政治的に利用されたわけではなかったことが納得さ
れる。
3)孝明天皇たちの開国拒否は、たとえ当時におけるグローバル・スタンダード(現代ならグローバリズムか?)であっても、それを一方的に押し付けられるこ
とへの反感、憤り、に基づくものであり、一定の政治的合理性を持っていることがわかる。
4)朝廷を開国拒否、攘夷へと押し出してしまったこと、また、朝廷に政治的求心力を与えてしまった責任の大半は、公儀(=幕府)側にあることが判明する。
特に、通商条約の締結に関して、その行為の責任を公儀が取ることを前提に公儀が朝廷に諮問や参考意見を聞くのではなく、通商条約に関する勅許を求めるこ
とで、開国への国論変更の政治責任を孝明天皇に転嫁してしまうこととなった。そのことが、理性と責任感を持った人物ではあるが、優柔不断だった孝明天皇
を、かえって精神的に追い込んでしまった(逆ギレ)。これが問題の位相を歴史的に大きく転換してしまい、結果的に朝廷の伝統的政治意思決定機構を麻痺させ
てしまった。
5)幕末・維新史を語る際の主要人物である、岩倉、西郷、大久保といった名が大きなストーリーにはほとんど絡まないし、それがあまり気にもならない珍しい
幕末・維新史である。
6)歴史における事件(events)の重要性を、内裏炎上とその孝明天皇への影響という出来事から伺える。
7)ただし、本書冒頭の「天皇制はなぜ存続したのか」という日本史最大の問いに、著者の明快な見解を、本書中に確認することは残念ながらできなかった。
大名家には、競って自家の家格を上げることを願い、天皇家や貴族社会との縁戚関係づくりや律令制位階への需要があった。それを徳川=「公儀」が利用する
ことで、全国の大名家をコントロールした(本書p.77)とあるが、それではなぜ徳川家が単独で位階を与えることができなかったのか、の謎は残ってしま
う。
巻末の人名索引は有益。何しろ本書に登場する何人もの宮廷関係者の名前の読み方は、一度振り仮名を読んだだけではなかなか覚えられないから。
*下記の著作は、孝明天皇を幕末ゼロト主義者として考える際、必読。藤田雄二『アジアにおける文明の対抗―攘夷論と守旧論に関する日本、朝鮮、中国の比較研究』御茶の水書房(2001)
2008.12.16.加筆
家
近良樹 『幕末の朝廷 若き孝明帝と鷹司関白』中央公論新社(2007年)
目次
はじめに
第1章 孝明天皇は豪胆な性格の持ち主か
第1節天皇制はなぜ存続したのか
第2節光格天皇から孝明天皇へ
第3節支配的見解への疑問点
第4節孝明天皇の性格
第2章 幕末期的状況とは何か
第1節江戸期の朝廷が置かれた状況
1朝廷と幕府の関係
2朝廷と諸藩の関係
第2節幕末的状況とは何か
第3章 ペリー来航とその影響
第1節孝明天皇登場
第2節ペリー来航前の朝廷
第3節ペリー来航
第4節阿部政権の要請と朝廷側の対応
第4章 ペリー再航後の朝廷
第1節新たな状況の到来
第2節内裏炎上とその影響
第3節関白の交代
第5章 孝明天皇はなぜ開国路線の前に立ちはだかったのか
第1節鷹司太閤の天皇への情報提示行為
第2節通商条約調印・将軍継嗣の両問題と朝廷
1堀田正睦政権の登場
2ハリス上府問題
3中川宮の中央政界登場
第6章 安政五年の朝廷
第1節幕府の開国是認要求と孝明天皇の苦悩
第2節鷹司太閤との対決
第3節勅答をめぐる朝廷内の対立と混乱
第4節戊午の密勅と安政大獄
おわりに
あとがき
関係年表
主要参考文献
人名索引
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コメント
お薦めします。
投稿: renqing | 2008年10月28日 (火) 01時58分
おお、積んどくになってました。読んでみよう。
投稿: まつもと | 2008年10月27日 (月) 09時23分