「日本は無資源国」はイデオロギーである
以下、コメントへの私のレスを記事とします。
松本さんのコメント
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お久しぶりです。
ドイツや日本の経済の混乱と軍国化については、むしろそれまで輸出、つまり自由貿易体制に過度に依存してきたことが問題であったようにも思います。「植民地なきイギリス化」の挫折が、自給圏やら利益線といった発想につながったのではないでしょうか。
考えてみれば、江戸時代は270年間まったくの保護貿易で平和を達成したのでした。清朝、朝鮮国もしかりです。
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松本さんのご指摘の通り。
西洋との「自由貿易」開始以前、大清国は海禁時代、徳川期は「鎖国」時代と言うわけだが、この時、基礎消費物資、例えば、穀物、木材、といったものの輸入はほぼゼロと言ってよい。
さて、では、その「自由貿易」時代以前の、中国人口はどのくらいだったのだろうか。
『データでみる中国近代史』 (有斐閣選書1996、p.5 図表1-1)でみると、
1873年 350百万人 → 2006年現在、世界3位に相当
となっている。
鬼頭宏は、『長期変動』(アジアから考える6)
、東大出版会1994、p.201、において、厚生省人口問題研究所のデータを引いて、日本の人口規模を、
1870(明治3年)3629万人 → 2006年現在、世界35位に相当、ヨーロッパ諸国ではスペイン(29位)、カナダ(37位)
としている。おそらく、今でも昔でも、山間部が多く、平地が少ないこの弧状列島で、穀物輸入なしで3600万人を扶養するということは、驚いてよい事に属すだろう。
その事実を前に考えれば、「資源小国」だの、「無資源国」だの、と言い募ることは、ある種ためにする議論と言える。日韓関係史の上垣外憲一氏も、近世日本が世界的にみて、有数の銅や銀の産出国だったことを指摘している。
そもそも「自由貿易」で潤っていたヨーロッパ諸国は、中高緯度の冷涼地帯であり、元来穀物生産力は強靭とは言えない。皮肉っぽく言えば、彼らは工業 化せざるを得なかったのであり、工業立国で食うためには、食糧生産国との貿易、すなわち工業製品と穀物の交換、が欠くべからざる条件だったわけだ。貿易が特に必要である と思っていない国に、「自由貿易」を軍事的に強制するというのは悪い冗談である以上、そこには、「自由貿易」が貿易国間相互にメリットがあるという、強力 な理屈が必要とされる。
それが、化石化しつつも今に留める、古典派や新古典派経済学の比較生産費説ということになる。その最初にして強力な提唱者は、リカード (David Ricardo)の『経済学および課税の原理』(1817年)ということで、平仄がぴったり合う。リカードは、オランダ生れのユダヤ教徒の株式仲買人の子 であり、自分も株式仲買人となり、特に公債引受人として巨富を築いている。要するに根っからの、シティー(金融界)の人間だったわけである。
1807年には、フルトンによって蒸気船の実用化が成功しており、西洋諸国は、自由貿易の理論とイデオロギー、そしてその具体的な手段(蒸気船)をもって、アヘン戦争やらペリーの黒船として東アジアに登場したことになるだろう。
「自由貿易」そのものが歴史的起源、それもためにする歴史的起源、を有している。これは記憶にとどめておいたほうがよい事柄だと思う。
〔参照〕 Free Trade なる観念が、イングランド内部の政治的・経済的利害対立の敵味方双方に、どのようにして歴史的にご都合主義で使われてきたのか、「一読」瞭然。
川北 稔 『砂糖の世界史』1996年〔要約〕
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コメント
強者の自由は、弱者の不自由。「ジャイアン・リベラリズム」である。
日本のマスコミも、念仏のように「自由貿易」と唱えるだけなら、かつての「八紘一宇」やら「皇国の大義」とさして変わらないですよね。
投稿: renqing | 2008年11月26日 (水) 11時51分
ご返事ありがとうございました。列強諸国にとっての「自由貿易」が、インドとイギリスの関係を例に取るまでもなく非ヨーロッパ諸国にとって「不自由貿易」だった、というのはもはや蛇足でしょう。だれにとっての、何のための自由なのか、は問われるべきでしょうね。
投稿: 松本和志 | 2008年11月26日 (水) 09時00分