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2009年1月 3日 (土)

平川新『開国への道』全集日本の歴史12、小学館(2008年)

 本書は江戸時代後半、特に18世紀後期から19世紀中葉の幕末開国に至る、徳川の世が国家として一つの成熟を迎えた時期をとらえて、これまで歴史研究者たちに正面から読み込まれてこなかった史料を再発掘しつつ、徳川国家の知られざる側面に光をあて、そのイメージの刷新を目ざす試論の書である。

第1章、第2章、第3章

 18世紀に入ってから、西欧各国もようやく主権国家としての体制(分権的国制から集権的国制=集権的財政システム、常備軍の設置)が整い、王家同士の争いを超えた、国家として覇を競う角逐を世界各地で繰り広げるようになっていた。その争いはこの世紀を通じて同心円状に波及し、ついに日本列島の南西方面ではなく、北東方面からやってきた。なぜか。それはシベリアからカムチャツカ半島、アリューシャン列島、アラスカと、北太平洋を囲む地域が、その海洋資源(主に、黒貂やラッコの毛皮)を狙って欧米列強の闘技場と化し始めたからである。徳川国家も蝦夷地がその一部に含まれる以上拱手傍観は許されず、闘技者の一人として事実上参戦せざるを得なかった。それらを背景として、ここでは1789年の北米バンクーバー島でのヌートカ湾事件を皮切りに、徳川国家における外交と国防、列島最北部の領土確定の経緯、徳川国家の欧州における「帝国」としてのプレゼンス、等を、トーマス・クックの航海記を初めとする欧州人の探検記録、日本人漂流者やロシア人抑留者の手記、外交担当者の記録を点検しながら再構成する。

 ここで興味深いのは、徳川国家が、欧州では王国よりランクが上位の「帝国 theEmpire」とみなされていたことだろう。近世初期には確かに世界的に見ても軍事強国だったので、「鎖国」という外交政策が選択可能だったが、その後のいわば文弱化にも関わらず、オランダの日本に関する情報管理によって徳川国家の帝国イメージは19世紀初めくらいまで欧州で維持されたようだ。その後化けの皮は剥げるが、それは19世紀に入ってから、日本近海に頻々として出没する欧州軍艦による列島各地の実地測量(無論、欧州国家同士なら国際法違反)や通商要求のための接近によってもらされた生情報による。そしてこの「帝国日本」が誰を「皇帝」として戴くかというと、どうも武威の誉れ高き徳川将軍、とは限らず、宗教的権威としての天皇、とみなされていた場合もあるようだ。

第4章
 幕府や諸藩が統治機構として、いかに民意を吸い上げ、施策に生かしていたのかを、19世紀の幕府の灯油市場における産業政策を一つのモデルケースとして詳細に追っている。その基本は、競争促進による灯油価格の引き下げである。
 国家統治というものが安定して継続されるためには、議会制度の有無に関わらず、被支配者の同意を大抵必要とし、すくなくともそれを無視しては実効的支配そのものが維持できない。そういった《統治ないし支配の大原則》を、徳川期の史実を通して、如実に思い知らされる。

第5章
 大塩平八郎の大坂町奉行与力としての側面と、その大塩の批判にさらされた大坂町奉行所の施策を検証し、これまでの大塩像の再検討を迫っている。
 また、とかく失敗として断罪されることのみ多い、水野忠邦の天保の改革の成果、特に、株仲間解散の政策的効果を再検討し、それに物価引下げ効果があったことを指摘して、天保の改革像の訂正の必要性を論じている。

第6章
 徳川期の庶民の刀所持については、すでに藤木久志『刀狩り』岩波新書(2005年)によって大幅にこれまでのイメージが訂正されているが、それを踏まえて、庶民(=百姓+町人)のなかに、剣術がどれだけ普及しており、どれだけの庶民剣士が存在していたかを論じ、それが、実は明治期の国民皆兵とつながってることを示唆している。

 とにかく面白い事この上ない。徳川社会に関心のある向きはもちろん、人類にとっての「西欧近代」とはいったい何だったのか、をこの列島の歴史から再考するヒントが散りばめられている書といってよい。

 このように幾つもの事実発見(fact finding)に満ちている本である。ただ、一つ不満があるとすれば、それらを踏まえてトータルとしての江戸時代像、ないし徳川国家像が焦点を結んでない点であろう。画竜点睛を欠くこと、恨みなしとしない。とは言え、もちろん必読。


平川新『開国への道』全集日本の歴史12 小学館(2008年)
目次
はじめに 変わる江戸時代のイメージ
第1章 環太平洋時代の幕開け
 ロシア帝国、太平洋へ
 西洋列強の北太平洋進出
 領土分割競争に参入した日本
第2章 漂流民たちの見た世界
 大黒屋光太夫とラクスマン
 若宮丸のロシア漂流
「帝国」としての近世日本
  コラム1 漂流民の外交
第3章 鎖国泰平国家から国防国家へ
 北方の衝突
 列強の脅威と日本の防衛
第4章 世論政治としての江戸時代
 献策の時代
 地域リーダーと世論
 楢原謙十郎の文政改革
  コラム2 老農渡部斧松の地域づくり
第5章 天保という時代
 大塩平八郎の乱
 天保の改革
第6章 庶民剣士の時代
 百姓剣士の広がり
 浪士組と新選組
  コラム3 幕末の使節団と海外留学生
おわりに
参考文献
所蔵先一覧
年表
索引

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