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2009年1月31日 (土)

努力の報酬

 人間だれしも、失敗とか挫折などというものは好まない。そんなものより、当然、成功を望む。しかし、世の中を見回してみると、「私の人生、失敗の連続」という人は見つけやすいが、「私の人生、成功の連続」という人は、あまり見かけない。衣料品製造販売のユニクロの社長である柳井正氏の「ビジネス一勝九敗」論(=たとえ九連敗しても、最後に一勝すれば、それでよし。勝つまでやり続ける人間が結局は成功を手にする人間である。)などは有名である。

 だとすれば、人生において身近なものは、成功より失敗、ということになろう。すると、大事なことは、挫折したとき、どのようにしてその現実と向き合うか、ということになる。例えば、試合で勝つために、一生懸命に練習し、努力したが、結局負けてしまったとする。負けちゃったのだから、その練習は無駄だったのか。そうではない。なぜなら、勝敗の結果に関係なく、練習に費やした努力は、少なくとも本人の体力や技能(スキル)を向上させているからだ。

 つまり、勝利を目指して努力を重ねるのだが、努力で確実に得られるものは、自己の成長ということになる。その上で成功を得たら素直に喜べばよい。もし、失敗に終わっても、なぜ失敗したのかを考えることで、さらにより高いレベルの自分に成長できる。だから、どちらに転んでも、失うものは無く、得るものばかりということになろうか。努力を避けて、結果だけを要領よく手に入れようとする者に充実した人生はないと覚悟すべきだろう。

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コメント

加齢御飯さん、過分なお言葉を戴き、ありがとうございます。少し、気恥ずかしいですが、素直に嬉しいです。

この記事内容は、実は過去記事の焼き直しです。
「失敗からしか学びは得られない」
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2007/11/post_c8f4.html

それはまた、二人の著者からの受け売りです。

関曠野『歴史の学び方について』窓社(1997)
「人間は挫折によってこそ学ぶものだ」はじめに、p.4
「人間は制限されているがゆえに学ぶ存在なのである。」p.107


宮本哲也『強育論』ディスカヴァー・トゥエンティワン(2004)
「努力のご褒美は結果ではなく、成長である」p.144
「失敗によって失われたものは実は何もなく、一つの経験を乗り越えることによってひとまわり成長した自分を発見することでしょう。」p.145

そして、これらの言葉は、負け惜しみ、言い訳、自己弁護、そして自己嫌悪、が、今でも絶えない、私自身に向けてのメッセージでもあります。

投稿: renqing | 2009年2月 6日 (金) 02時09分

 お久しぶりです。大変感動いたしました。努力=成功ではなく、努力=自己の成長。うーむ、素晴らしい。学生や子どもや、何より自分自身によく言って聞かせたいと思います。

投稿: 加齢御飯 | 2009年2月 5日 (木) 17時26分

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