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2009年2月 7日 (土)

誰のための勉強か

 勉強をするのは誰のためだろうか。

 親や学校の教師は、「自分のため」「自分の将来のため」と言ったりする。教師は、確かに自分のためになっている。なにしろ、仕事が教えることだから役に立って当たり前だ。でも、子どもたちから親を見て、直接、学校でしている勉強が役に立っているように思えるだろうか。自分の親の仕事の内容がそれほどわからなくとも、そういう感じはしないだろう。

 では、誰のために、何のために、子どもたちは今その勉強をしているのだろうか。

 それは、自分以外の人のため、他人に役に立つためである。人の役に立つ自分になるためである。そう考えられないだろうか。

 大人は、普段、仕事をしている。当然、お金を稼ぐためにしているが、なぜお金を稼げているかといえば、その仕事で他人の役に立っているからである。役に 立っているから、他人はその仕事に報酬を支払うのである。そして大人たちは、その仕事を通じて絶えず考え、自分を鍛えている。そうやって大人だって少しずつ成長 している。

 子どもたちはまだ小さく、仕事を通じて考えたり自分を鍛えたりすることができない。子どもたちにとって、将来、人のために役に立つように自分を鍛える手段は、勉強やスポーツを通じて、自分を磨くことだけなのだ、今のところ。

 そして、しばらくして、彼らが大きくなると、心から、その人の役に立ちたい、助けたい、と願う他者が、きっと現れる。そのとき、その人の役に立ち、その人の喜ぶ顔を見るためには、強い自分でいなければいけない。今はだから、その時のために、勉強という手段を通して、自分の心と頭をしっかり鍛えておくべき なのだ。

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