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2009年3月 5日 (木)

中国におけるシビリアン・コントロールの伝統/ The Tradition of Civilian Control in China

「科挙制度は実に中国政治に特有な文を尊重すること、もっと詳しくいえば、武を抑えて文を進める精神によって貫かれているところに根本的な特徴がある。」p.228

「中国の古代においては、文官と武官との区別がはっきりせず、政治家は同時に軍人であり、入りては相、出でては将となるのが理想であった。しかし宋代のころから文官と武官との区別が次第に判然とわかれてきた。もっともここにいう武官とは部隊長までを指すのであり、軍人の出世の限度は部隊長どまりであって、それ以上の軍部大臣、参謀総長にあたる、兵部尚書、枢密使には生粋の文官をあてるのが例となった。いな、それのみではない、前線の軍隊を指揮する総司令官にも文官を任命するのが普通である。軍人あがりの部隊長が前線の総指揮官となったり、あるいはさらに中央政府へ入って軍部大臣や参謀長になることは、政府の体制を乱すこととして、極度に嫌われもし、また警戒もされた。」p.229

「軍部大臣の文官制こそ、宋代以降中国歴代の政治に一貫した方針といえる。」p.231

 以上すべて、宮崎市定『科挙 -中国の試験地獄-』中公文庫(1984)

 上記の原則は、中国共産党が国共内戦および抗日戦において戦争指導し、最終的に勝利したことが、その支配の正統性の源泉であることからみても、現代においてさえ連綿と続いていることが判明する。鄧小平も中国共産党員として革命中、前線指揮していた履歴が、人民解放軍からの政治的支持を受け続けた理由である。

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コメント

いいえ、久しぶりに鋭利なコメントを戴けてうれしい限りです。

投稿: renqing | 2009年3月29日 (日) 22時22分

>宮崎が超歴史的に中国におけるシビリアン・コントロールの存在を主張しているとは認めがたい

>それよりも、政治家やその他の類が宮崎の言を都合よく引用するとき注意されたほうがよいと思われます。

了解しました。丁寧な回答をして頂いてありがとうございます。

投稿: abduluzza | 2009年3月29日 (日) 03時31分

宮崎のこの著作は、歴代王朝の科挙制度について述べ、その起源は唐代にあるが、実質的には宋代において制度として確立したことを縷々書いているわけですから、そのあとがきに、

「科挙制度は実に中国政治に特有な文を尊重すること、もっと詳しくいえば、武を抑えて文を進める精神によって貫かれているところに根本的な特徴がある。」p.228

と記してあるとしても、宮崎が超歴史的に中国におけるシビリアン・コントロールの存在を主張しているとは認めがたいと思われます。もし、宮崎が短い独立したエッセイかなにかで中国の「軍部大臣の文官制」と触れるのだとしたら、ご指摘のように、『今日中国政治の傾向として看做される、武を抑えて文を進める精神は、科挙制度によって確立された』と似た記述をすると思いますが。この点、史家宮崎市定に関してはそれほど問題視しなくてもよいでしょう。それよりも、政治家やその他の類が宮崎の言を都合よく引用するとき注意されたほうがよいと思われます。

投稿: renqing | 2009年3月28日 (土) 03時07分

>宮崎の指摘する、宋代以降の中国王朝の政治慣習としての「軍部大臣の文官制」と、国家間の紛争解決手段に武力を使用するかしないということは、別問題


そのとおりですね、議論がめちゃくちゃでした。

しかし、
>科挙制度は実に中国政治に特有な文を尊重すること、もっと詳しくいえば、武を抑えて文を進める精神によって貫かれているところに根本的な特徴がある。

というのは、宋代以降に形成された『中国』イメージをそれ以前にも波及させて投影しているのでは?
『図説 中国文明史〈7〉宋―成熟する文明』の訳者序文では、中国の政治が文治主義だというのは、宋代以降に確立したイメージであるとされています。
それなのに、(他の文明に比してより)文治主義的な精神が『中国政治に特有』というのは言い方がまずいでしょう。
『今日中国政治の傾向として看做される、武を抑えて文を進める精神は、科挙制度によって確立された』と、
書くべきではないでしょうか。

投稿: abduluzza | 2009年3月27日 (金) 21時44分

abduluzzaさん、コメントありがとうございます。

>孫文の言うような、中国の古来からの伝統としての文治主義、中国は軍事的な
>覇権主義の歴史がないという言説は、自文明の優越性を確信するために、歴史を
>捻じ曲げたプロパガンダに過ぎないと思います。

 ご指摘と似た発言はモンゴル史・満州史の岡田英弘にもあります。ただ、恐縮ですが、上記、政治家孫文の言うような「創造された歴史」の類は、宮崎市定は引用文では述べてないと思います。史家として当然ですが。私も、そういったLDPの連中が「大日本国」について言いたがりそうなことを主張するつもりはありません。

 なにしろ、世界最強の軍事力を有する民主政の国USAは、建国以来シビリアン・コントロールの御国であります。イラク占領政策などは、かえって米軍部は消極的でありました。それを押し切ったのはシビリアンのドナルド・ラムズフェルドです。

 したがって、宮崎の指摘する、宋代以降の中国王朝の政治慣習としての「軍部大臣の文官制」と、国家間の紛争解決手段に武力を使用するかしないということは、別問題として検討するほうが議論としては生産的と思われます。

投稿: renqing | 2009年3月27日 (金) 12時30分

>武を抑えて文を進める精神

しかし、シビリアン・コントロールが中国で建前として確立したのは宋代以降、それに武を抑えて文を進めるといっても、必要なときは容赦なく武で敵国や反乱勢力を踏みにじっています。

宋代以前は、軍人上がりの皇帝が出たり、軍人ののさばる時期も見られました。

孫文の言うような、中国の古来からの伝統としての文治主義、中国は軍事的な覇権主義の歴史がないという言説は、自文明の優越性を確信するために、歴史を捻じ曲げたプロパガンダに過ぎないと思います。

投稿: abduluzza | 2009年3月27日 (金) 00時48分

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